「『日本人の信仰心』って宗教?」
「芸術」と同様に、「宗教」もまた輸入された概念です。
僕がヨーロッパに滞在した時に、いつも聞かれて困ったのが「あなたの宗教はなんですか?」という質問です。多くの日本人は「無宗教」もしくは、「神道と仏教」と答えます。相手は怪訝な顔をして、「宗教がないのにどうやって生きているの?」とか、「2つの宗教があるってどういうこと?」と更に尋ね、さらに混乱することになります。
最初、僕たち日本人が「宗教を知らないから」なのだと思っていましたが、よくよく考えてみると、そもそも「宗教」という概念の捉え方が違うのだということに気がつきます。
西洋の「宗教(Religion)」とは、一神教を前提とした概念です。「どんな場所にも神様がいたり」(アミニズム)、「神様と仏様が融合してしまった」(本地垂迹 ほんじすいじゃく) 日本人とは、信じること自体のあり方が全く違うのです。そこにまた「宗教」という概念を丸写しで輸入してしまったが故に、日本人は「無宗教」と言わざるを得ない状況に陥ってしまったのです。
クリスマスを祝ってすぐに、お正月に初詣に行く日本人は、西洋でいう「宗教」を持っていないかもしれませんが、独特の「信仰」は持ち合わせているのです。
「宗教画から脱却した西洋のアート」
西洋における「芸術(アート)」には、どんな歴史があるのでしょうか。
(そもそも「アートの歴史=西洋の歴史」であり、日本人が簡単にはアートの土俵に上がれないのも、ここに理由があります。)
西洋でのアートは、はじめは宗教と共にありました。みなさんご存知の宗教画と言われるものです。文字の読めない人たちに対し、キリストや聖書の世界を知ってもらうために、絵や彫刻をつかって理解を深めさせていました。
しかし、ルネサンスや産業革命などの転換期を経て、次第に宗教性を省いた絵画が生まれだします。それまでアーティストのパトロン(後援者)は教会でしたが、市民の中にも大きなパトロンが現れ、表現の上でも宗教的制約から脱却する流れが起こります。
つまり西洋におけるアートの歴史には、まず「宗教性からの脱却」が明らかに存在するのです。西洋のアーティストは、その流れを十分に理解した上で、新たな表現を生み出しているのです。(現代の抽象的な作品にも、実は宗教的なテーマが背景にあるものが多く存在します。)
「日本人にとってのアートを探して」
一方、日本におけるアートはどうでしょうか。
明治期に日本に入ってきたアートは、既に「宗教性からの脱却」を果たしたアートでした。その上っ面のものを日本人は「純粋なアート」として学んだのです。しかし、そこで起こるべき矛盾点が、実は今現在も解決されないままなのです。その矛盾点とは、「日本のアートは、いつ宗教から脱却したのか?」という点です。つまり、「日本のアート」には「西洋のアート」が通ってきた「宗教との歴史」が存在しないのです。
これがどういった結果をもたらしているのでしょうか。
西洋の「印象派展(宗教性から脱却したアート)」と、日本の「国宝展(宗教性ド直球の仏像)」が同様に長蛇の列をつくる構図です。それらの上にあるべき近代現代の日本人アーティストには、価値が見出されていないのです。その原因の一つは、日本人が「アートと宗教の関係性」に対し、いまだに踏み込めていないからなのです。
風間天心
(③へ続きます。次回は、「なぜアートと宗教をつなぐ必要があるのか?」 に言及します。)