「関東大震災の空撮写真集」を出版して神奈川県の公立図書館に寄贈したい。

3.11震災から4年,強烈な記憶は薄れてきました。93年前に神奈川県が被災地であったことを忘れてはなりません。震災は生命財産の損失だけでなく,自治体の負債も生じます。「関東大震災を学ぶ」ことは,未来の安心につながります。

現在の支援総額

641,000

106%

目標金額は600,000円

支援者数

92

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2015/10/10に募集を開始し、 92人の支援により 641,000円の資金を集め、 2015/12/10に募集を終了しました

「関東大震災の空撮写真集」を出版して神奈川県の公立図書館に寄贈したい。

現在の支援総額

641,000

106%達成

終了

目標金額600,000

支援者数92

このプロジェクトは、2015/10/10に募集を開始し、 92人の支援により 641,000円の資金を集め、 2015/12/10に募集を終了しました

3.11震災から4年,強烈な記憶は薄れてきました。93年前に神奈川県が被災地であったことを忘れてはなりません。震災は生命財産の損失だけでなく,自治体の負債も生じます。「関東大震災を学ぶ」ことは,未来の安心につながります。

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

  大正関東地震から8日めの9月9日,橫須賀海軍航空隊は,相模湾沿岸の御用邸と物資輸送道路の確認しました。  右側の白い建物が,葉山御用邸,黒い丸印がつけられています。      


 大正関東地震による津波は,強い引き波の後,逗子新宿海岸に押し寄せました。海岸前面の西洋館は,津波で破壊されました。  田越川を遡上した津波は,川の両岸を浸食しました。下流に架かっていた富士見橋は,消失しています。  逗子新宿湾の海岸を標高3〜5mの砂丘が続いてていますが,砂丘を越えたかは,わかりません。 小坪に押し寄せた津波ほど,高くはなかったようです。    


小坪の震後津浪襲来と大磯付近列車転覆をセットで販売した。実際に体験した津波からの避難。大磯の列車転覆は写真をスケッチして,逃げている様子は,想像したもの。当時,版画に変わる写真が登場した。 版画は,今起きていることを忠実に再現できる。 しかし,写真には,不可能なことである。 絵巻物出版から,大正震災画集が出版された。  


 近藤紫雲は,逗子小坪海岸で津波に襲われた  この事実を後世に伝えるため,版画にした.鎌倉・小坪 地域では,地震が起きると地割れ・大規模がけ崩れが多発した.いったん地割れの起きない砂浜に避難した後,背後の高台に避難した. 小坪の津波は,約 7.7 m. 左に江の島,大崩壊した飯島.丘の中腹は海前寺.          


 1920年代,日本の中枢は横浜だった.       写真は,現 神奈川県立歴史博物館  1923 (大正12) 年9月1日,横浜を12時に出航予定だったシアトル経由バンクーバー行きのオーストラリア号を見送りに来ていた人たちは,11時58分の大正関東地震で海に放り出された.しかし全員船に救助され命は助かった.  翌日のパリ行きの船に乗船するため,オリエンタル・パレス・ホテルに滞在していた久米民十郎(1893-1923)画伯は,30歳で非業の死を遂げた. 描かれたチャイナドレス−藤島武二から梅原龍三郎までー2014.4.26-7.2(石橋財団ブリジストン美術館)        


新しいアイデアや挑戦を、アプリで見つけるcampfireにアプリが登場しました!
App Storeからダウンロード Google Playで手に入れよう
スマートフォンでQRコードを読み取って、アプリをダウンロード!