沖縄からフィリピンへ!世界中のウチナーンチュへ三線の音色を届けたい!

沖縄文化を広めるために、家で眠っている・使用されていない沖縄の楽器・三線を集め、毎年開催する「世界若者ウチナーンチュ大会」に合わせて「世界の兄弟へ三線を贈る」活動を行っています。

現在の支援総額

151,000

100%

目標金額は150,000円

支援者数

15

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2015/06/18に募集を開始し、 15人の支援により 151,000円の資金を集め、 2015/07/20に募集を終了しました

沖縄からフィリピンへ!世界中のウチナーンチュへ三線の音色を届けたい!

現在の支援総額

151,000

100%達成

終了

目標金額150,000

支援者数15

このプロジェクトは、2015/06/18に募集を開始し、 15人の支援により 151,000円の資金を集め、 2015/07/20に募集を終了しました

沖縄文化を広めるために、家で眠っている・使用されていない沖縄の楽器・三線を集め、毎年開催する「世界若者ウチナーンチュ大会」に合わせて「世界の兄弟へ三線を贈る」活動を行っています。

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はいたい! 先日、実行委員会の代表勝連さんと一緒に 沖縄県三線製作事業協同組合さんに ご挨拶・ご協力のお願いに行ってきました! 右を見ても、左を見ても、三線!! 組合が設立して1周年ということで、 展示会が行われていました。 なかには、こんな三線も!! 話を伺うと、三線店には2つのタイプがあるそうです。 ・職人自ら三線を作り販売をしている店 ・アジアの国からの輸入した三線や他の店から購入した三線を販売している店 三線を誰でも手軽にに購入できる時代となりましたが、 県内の三線製作界は 職人の高齢化、後継者問題、技術の離承 販路開拓、原材料の枯渇、経営の脆弱性及び 社会的地位向上等の問題があり、 事業協同組合を設立して諸問題に対処しようと 設立に至ったそうです。 沖縄県三線製作事業協同組合 お話を伺うと、 過去にウチナーンチュ子弟留学生の研修受入を 5回以上行っているそうで、 研修生には、三線を販売するだけでなく、 制作する者として、三線への敬意の気持ちを 教えることから始めると話されていました。 受入研修生の名前をきくと ハワイ・アルゼンチン・アメリカ・カナダなど 友人でした!!(^^) 沖縄ってせまいなあと。(笑) また、 本プロジェクトにも共感していただきました!! 今後、良い連携がとれそうです 沖縄県三線製作事業協同組合フェイスブック


はいたい!WYUAです。 先日、本実行委員会の会議がうるま市にてありました! 三線の寄贈の呼びかけや、今後のスケジュール、 資金集めなどについて議論! 今年度に限らず、次年度についても話し合いました! あっという間に約2時間! この想いをフィリピンまで届けるぞー!! 実行委員会の皆様 いい笑顔ですね(私はカメラマン) 次回は7月下旬を予定しています!


はいたい!WYUA事務局です。 本日7月6日、 沖縄タイムス27面に、本プロジェクトが取り上げられました! 新聞で述べていますが、少しフィリピンの移民について話をします。 沖縄県出身者の移民がハワイや南米に多いことは割と知られていますが、実は、1900年のハワイ移民の次にフィリピン移民の歴史が古く、1904年金武村出身の大城孝蔵以下114人が最初とされています。 これは「ベンゲット道路」工事で働くための移民でした。道路完成後、マニラ麻産業などで一部の日系人は成功を収めていきますが、太平洋戦争により一変します。 戦後、反日感情の激しいフィリピンでは、日本人・沖縄人であることを隠さなければなりませんでした。フィリピンにいる2世~3世の沖縄への興味・関心がハワイや南米の若者と比べて高くないのは、こうした歴史が関係していると考えられます。 今回はだからこそ、三線が必要だと考えます!! 若い世代に沖縄への興味・関心を持ってもらうには、音楽や文化のチカラが助けになります。 海外の同世代が沖縄や世界に視野を向けることで、沖縄の若者にも良い影響を与えると思います! ご支援・ご協力宜しくお願いします(^-^)


昨日6月23日は、慰霊の日。 沖縄県は毎年6月23日を、 太平洋戦争における沖縄戦の終結した日として、 慰霊の日に制定しています。 今年は、戦後70周年の節目を迎えます。 70年前に私たちのおじい、おばあが どんな境遇にいたかと思うと苦しくなりますが、 今日こうして生きているに感謝です。 戦争と三線が関係する映像を見つけましたので、 下記リンクよりご覧ください。 戦後70年 遠ざかる記憶近づく足音 三線を持った少年 映像で一人の男性が語っていた言葉。 「昔は家宝で床の間に置いていたんだよ。 高級な三味線だったら命の次はこれだよ という具合だったから。 荷物を持たずにこれだから、 家宝に位置づけられた三味線じゃないかね。」 戦後も、三線の音色は 人々の心を癒す大切な存在だったようです。 私たちも三線の音色を多くの人に届けられるようがんばります!!


こんにちは!! 沖縄からフィリピンへ! 世界中のウチナーンチュへ三線の音色をを届けるため 今回、初めて!! クラウドファンディングに挑戦することになりました!! このプロジェクトは、2014年から 世界若者ウチナーンチュ連合会支援実行委員会 (代表 勝連盛豊氏)と共同でスタートし、 第一弾は、「第3回世界若者ウチナーンチュ大会」 開催地のドイツで、ドイツの沖縄県人会に三線10丁 を寄贈しました。 今年は、「第4回世界若者ウチナーンチュ大会」 開催地のフィリピンで、フィリピン沖縄県人会や参加者 がいる海外の県人会に三線を贈る予定です! 必要金額は 7月20日までに、150,000円! ご協力お願いいたします!!


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