山口はるか「出会いのパン」〜小麦酵母パンを伝承したくて〜

国産小麦を使った自家製天然酵母パン教室を自宅で開催。パン教室で国産小麦本来の味を伝えつつ、その場を男女の出会いの場として提供する。厳選国産小麦を使った食パン。これらのを舌で味わい、話しながら、男女の出会いの場として活用する

現在の支援総額

525,000

175%

目標金額は300,000円

支援者数

98

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2016/05/12に募集を開始し、 98人の支援により 525,000円の資金を集め、 2016/06/28に募集を終了しました

山口はるか「出会いのパン」〜小麦酵母パンを伝承したくて〜

現在の支援総額

525,000

175%達成

終了

目標金額300,000

支援者数98

このプロジェクトは、2016/05/12に募集を開始し、 98人の支援により 525,000円の資金を集め、 2016/06/28に募集を終了しました

国産小麦を使った自家製天然酵母パン教室を自宅で開催。パン教室で国産小麦本来の味を伝えつつ、その場を男女の出会いの場として提供する。厳選国産小麦を使った食パン。これらのを舌で味わい、話しながら、男女の出会いの場として活用する

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みなさまこんばんは。   出会いのパン〜小麦酵母を伝承したくて〜山口はるかです。 5/12にプロジェクトをスタートさせてはや1ヶ月。   皆様のおかげで100%に達成させていただき、 今もなおご支援をしていただいておりまして本当に頭が下がる一方でございます。   私のプロジェクトに対する想いはここでも再三言い続けてきました。 ですので、今回はFAAVO長崎さんについてレポートアップしていこうと思います。   FAAVO長崎さんは地元長崎から新しいアイディアを発信してそこから世界を変えていきたいとご自分たちの活動に励んでおります。 かつての長崎は日本初の貿易港で外国に門を開いた日本の玄関だったと。   その想いは「長崎の誇り」です。 今もう一度長崎を盛り上げていこうと、本来の長崎を取り戻したいという熱い想い。   長崎で新しい場所を作り、魅力ある土地をつくりあげるという熱い想い、   私はプロジェクトをスタートさせた時、達成させることに一生懸命でした。 それが、途中から 「私の小さな勇気と行動がもしかしたら長崎自体を変えるひとつのきっかけになるのではないか」とそのように感じはじめました。 そう思わせた方々がFAAVO長崎さんです。(もちろんご支援いただいた皆さまのお声もそうです)   私のプロジェクトのために真剣に寄り添ってくださった、FAAVO長崎の方々は一生懸命に長崎を盛り上げようとしているんだ、と思いました。 その想いは私が「母の大切なパン作りを伝承して、そこから新しい形を生み出したい」という気持ちとある意味同じなのではないかと思い始めました。   「長崎を大事にしてそこからあたらしいモノを生み出したい、新しいアイデアを発信したい」というFAAVO長崎さんの気持ちは実はおなじなんだと。   そして私が頑張ることで何かしら長崎に還元できるのではないか、そう思いました。   それぞれの一途な想いが一致したことによって私のプロジェクトは達成したのではないかとおもっています。 あらためてFAAVO長崎さんに感謝です。 本当にありがとうございます。     今回のプロジェクトにおいて 母の小麦酵母のパンを伝承することは私の大きな役割で任務です。 母が長年培ってきた天然酵母のパンの伝承。それを伝えるパンの会。 そしてそこを拠点として今後私独自の展開をしていければいいなと今そう、切に感じております。 パンはもちろんですが、食に関するさまざまな活動をできる場所。 食の大事さ、作ることの楽しさ、食べることの重要さ。 それを皆で共有できる場所、どこにもない新しい形で。 私が生まれ育ったこの長崎という場所でそれをつくりあげていきたいです。     さあ、みんなも一緒に長崎盛り上げようよ!!     出会いのパンの会は単なる出会いの会ではありません。 単なるパン教室でもありません。   男女の出会いだけではなく、意味のある出会い、そしてそこから新しい何かが生まれてくるかもしれません。   引き続きご参加・ご支援お待ちしております。          


皆さまおはようございます。   出会いのパン〜小麦酵母パンを伝承したくて〜の山口はるかです。   本日6/12(日)長崎新聞様のとっとってに掲載をしていただきました。   FAAVO長崎にてクラウドファンディングに挑戦して、さまざまな想いや経験をさせていただきました。       短い文章だけど、ここにも私の気持ちはこもってる!       長崎新聞者様 大きな記事で取り上げていただいて大変感謝しております。ありがとうございます。   最後まで頑張ります。   出会いのパンプロジェクトはまだまだ終わっておりません。   6/28(火)までご支援はもちろん、出会いのパンの会に参加してくださる方を心からお待ちしております。   よろしくお願いいたします️      


  皆さんおはようございます。 夫のレポート最終章です。   クラウドファンディングに挑戦してきて 夜な夜な、朝な朝な(こんな言葉はありませんが、)頑張ってきた私たち。 最後の章はわたしたちらしく、朝早くに投稿 したいとおもいます。           第四回 消えないで、足跡  今、やるべきなのか、もう少し先のことじゃないのか、彼女は分水嶺にいました。  彼女は丘の上で、考え込んでいます。  風は気ままに流れ、嘲笑うようにも、背中を押してくれているようにも感じられます。ですが、彼女はクラウドファンディングにチャレンジすることを決断することになります。目を閉じたさきにある真っ暗な闇の向こうに、光を見つけました。それは生まれたての赤ちゃんの体温のような、あたたかなぬくもりを持つ光でした。雪にかんなをかけたような白さを持つ光でした。  でも、その光はとても小さな光でした。このときは、まだその光がなんなのか、彼女は知りません。  新緑を揺らす爽やかな風と、すこし強すぎるくらいの日差しが続いた数日のうちに起こったことを今回は書いてみたいと思います。その小さな光がなんだったのか、明らかにしたいと思います。  しかしながら、これまでのような話にはならないことを、先に謝らなければなりません。なぜなら、今回は彼女について書くことはできません。小さな光の話をするには別の主役を設定する必要があります。 *  「夢をあきらめないでください」と人は言われます。  僕らは好きで夢をあきらめたりしません。好き好んで、思いを形にしないのではありません。  僕らは、色も形も違った「種」を拾います。 それを自分の中の、奥深くで温めます。 ですが、その「種」からは芽が出てこないかもしれません。 思っていた形と違う芽が出てくるかもしれません。 あるいは、せっかく顔を出した芽を摘まなければならないかもしれません。  僕らは年を取るにつれ、賢くなっていきます。  やがて「夢をあきらめないでください」ということが方便だと知ります。  夢とはそういうものだと知り、そして「種」を見つけること、拾うこと、育てることを忘れてしまいます。 *   彼女の中で温められていた「種」は、もうすぐ芽を出そうとしていたかもしれませんし、まだまだ芽を出すための準備段階に過ぎなかったのかもしれません。ですが、彼女の温めていた「種」からは小さな芽が出ることになりました。  なぜでしょうか。  岐路に立つ彼女に、土壌を耕し、水をやり、小さな光を与えてくれたのは、これを読んでくれているひとりひとりの皆さんでした。  「種」の存在を認めてくれたあなたでした。  賢くなっても、方便だと知っても、夢を生きるのも悪くないよねって思ってくれている皆さんでした。  「頑張って!」「おいしいパンを作ってね」「遠くからだけど応援しています」「たくさんの人を笑顔にしてくださいね」「応援してまふぃん」、たくさんの応援メッセージが彼女に、前に進む許可を与えてくれました。「もうはじめてもいいんだよ」と背中を押してくれました。彼女の持つ夢は、小さな光に支えられ、歩き出したのです。  ひとつの出会いから生まれたこのプロジェクトは、いつしか、たくさんの人たちに支えられ、形が作られ、ひとつの目標を達成することができました。 彼女と僕の頭の中には、ひとりひとりの皆さんの顔が浮かびます。声が訊こえます。おおげさかもしれませんが、歴史を刻む出来事のように、胸に深く刻まれていきました。  彼女と僕は歴史のページを過去に向けてめくってみることにしました。  そこには、これまでに出会ったたくさんの人がいました。過ごした日々がありました。訪れた地域、生活の中で繋がった人たちとの確かな結びつきが、見えない糸として、消えない足跡として残っているという尊さに気づかされました。そして驚くべきことは、そのすべての人たちがこのプロジェクトを支えてくれたということです。 僕らは朝な朝な(こんな言葉ありませんが)話しました。「もう足を向けて寝れないよね」「うん。四方八方に住んでるだろうからさ、立って寝ようか」「なんでこんなにみんないい人ばっかりなんだろうね」 毎日のように、あの人も支援してくれたんだよ、えっ?この人も、というような会話がありました。驚きの連続でした。手紙まで頂きました。  僕たちはその度に、何度手を合わせ呪文を唱え、感謝したでしょう。  「くわばら、くわばら」は雷除けのおまじないです。どうか、ここには雷を落とさないでくださいと祈るために受け継がれてきたおまじないです。いまどきそんなこと言う人を僕は訊いたことがありません。どちらかといえば困ったときに使うおまじないです。 彼女と僕は、みなさんに支えていただいたことを、忘れません。どう感謝を表したらいいのか、もう困ってしまっています。 だから僕らは、これからもずっと丘の上の家から、皆さんに幸福が訪れますようにと、どうか皆さんのところにだけは雷(やっかいごと)が落ちませんようにとの思いも込めて、「くわばら、くわばら」と祈ろうと思います。  「人生いろいろ、男もいろいろ、女だっていろいろ咲き乱れるの」と島倉千代子さんが歌いましたが、これから僕らにも、みなさんにもいろんなことがあるのだろうと思います。「諸行無常」ですしね。 でも、皆さんのような、温泉みたいな人たちがいるんだと思うと、世の中安心、という気がします。  みなさんが「山口はるかのプロジェクト」を温かく包んでくれたように、ご自身のこともまた大切にしてあげてください。 それでも、もし大切にするのが難しくなったら、丘の上の家に遊びに来てください。 彼女の作ったパンとマフィンなどはいつでも準備しています。  プロジェクトはまだ続いていますが、お礼を言わせてください。 彼女を応援してくれて、支援してくれて、小さな光を与えてくれて、ほんとにありがとうございました。  これで、「丘の上の家で『くわばら、くわばら』という理由」はおしまいです。 最後までお読みいただきありがとうございました。  「くわばら、くわばら」  終わり  プロジェクトの進行状況に応じて、「番外編」があるとかないとか・・・。   


夫の応援レポート3回目です。           第三回 クラシカルな孤独     彼女は、なぜか古いものに惹かれます。 たとえば、食器や家具、喫茶店。時の香りを漂わせる、そんなクラシカルなものを好む傾向にあるようです。どうして、と訊ねたことはありませんが、きっとそれらには大河の流れをじっと見つめたときに感じるような特別な情感のようなものが見え隠れするからなのだろうと思います。脈々と時間をかけて流れ、受け継がれ、現在(いま)の空気と混ざり合う、そんな月の光のような孤独な輝きを、彼女はいつも見ているのだろうと思うのです。 それは矢継ぎ早に過ぎ去っていく日常において、確実に歩を進めることのできる彼女らしい姿と、よく合います。 * ーできるかぎりー365日、同じ時間に目覚め、同じように作業に向かう。もちろん例外はあります。けれど、できても、できなくてもまずは作業台へ向かう。そして孤独に立ち向かうように作業を行う。酵母を見極め、材料を量り、素材を選ぶ。人間は例外なく孤独を恐れるのだろうと思います。仲間を欲し、自らをなだめてくれる言葉を欲しがるのだろうと思います。それはとても自然な行為です。けれど、彼女が向かう朝の作業台には、孤独があります。彼女は自ら、穴のなかに潜り込むようにして、孤独と対峙します。そして、酵母や小麦や道具を使い、自分の頭の中に描いた作品をこしらえます。  ーーどうして、四時に目覚め、九時を回ると眠りにつくのですか。  たまたま、そうなっただけだと、彼女は言います。 けれど、明け方には夜とはまた違った静けさがあります。目覚めない心配よりも、明けていく希望が見え隠れします。食べ物の味は、こういう部分にこそ、実は、なにかわけのわからない力が潜んでいるような気がします。 ーー素材の組み合わせに関して  季節、今の時期だから手に入るものをまずは優先しつつ、あとは食べてくれる人の顔を想像すると、自然と浮かんでくる、と彼女は言います。 季節が巡るのと同じように、彼女の生み出す食物も変わっていきます。桜には桜の季節のものを、紅葉には紅葉の季節のものを、メイユールヴーと訊けばフランスの風を纏います。気分がいいと、彼女のマフィンは2.5倍の大きさになります、というのは冗談です。 僕たちは丘の上にある古い家に住んでいます。庭があり、彼女の工房があり、井戸があります。庭には、いくつかのハーブや、オーストラリア生まれの植物があります。この場所は、二人で長い時間をかけて収集した物もたくさんあります。占い師が夜な夜な水晶玉を磨くように、僕らもまたひっそりとここで灯台の明かりのような道しるべを磨き続けています。 「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし」 こう記したのは、鴨長明です。 「無常」という言葉があります。 常に同じではない、そういう意味です。僕ら自身も、僕らの周囲もまた、いつまでも同じではありません。 「ぶれない」ということが、良いことのように言われて久しくありません。でも、彼女も僕もぶれまくりです。そうやって自然でいることの方が彼女にとっても僕にとってもよっぽど大切なことです。 きっと彼女はこれからもずっと、変わりゆく景色の波を、朝日に照らされながらサーフィンでもするように喜んで駆けていくのだろう、と思います。(彼女はその昔ボディボードをやっていたことがあります) 意識的に孤独と対峙することは、まるで丘の上に生える一本の木になった状態のようです。あるがままの状況を受け入れ、天候を受け入れ、動物や人の想いを受け入れます。 ただ、ただ、受け入れます。 でも、彼女の中で時間をかけて孤独を育て来たからこそ、特徴を持ったものをこしらえることができるのではないだろうかと、僕は考えます。  菅原道真は、伝説や逸話の多い人物であると言われていますが、「くわばらくわばら」もまた所以を道真公にあると考えられているようです。道真公のお亡くなりなられたあと、各地で自然災害などが起こったという伝説は有名なお話です。 そんななか道真公の故郷にあった「桑原」にだけは雷が落ちなかったようで、それ以来、雷よけのおまじないとして言い伝えられた、というのが、数ある説のなかでもっとも有名なお話のようです。どうして、そんなおまじないをタイトルに設けたのか。  答えは次回、明かされることになります。


出会いのパン工房
2016/06/01 22:10

皆さんこんばんは。 昨日から食べ物ののことばかり考えている山口はるかです。     今日は食べ物と私の想いについてお話しします。     私はお菓子が大好きです。 チョコレートやアイスクリーム、ショートケーキカスタードプリン。 こんな愛らしい単語、他にあるでしょうか。並ぶだけで幸せな気持ちになる。       食べ物が大好きです。  なんておいしそうなんだろう…。(自分がとった写真なのに………) 寿司、ハンバーグ、スパゲティ、天ぷら、サンドウィッチ、カレー、たまご丼。   レストランって聞いただけで、ワクワクしちゃう。                 子どもの頃から可愛いらしいたべものの挿し絵が入った本ばかりを眺めていました。 兄はそんな私を見て、「なんてかわいそうな妹、、、いつも腹を空かせている、、、」と思っていたようです。   それは間違い。母はたくさんのあまり余るくらいのご飯を、作ってくれていましたから。ただ、甘く美味しそうなお菓子の絵や湯気がたちあがるお料理の数々は、見るだけで、とってもとっても幸せな気持ちになりました。 図書館でレシピ本を借りてくる         にこちゃんパン         いつかの昼ご飯 いつかの息子の弁当     私が作るお菓子やごはんたちは気持ちがとっても込もっています。私が作るもの、美味しいよ!って鼻を高くして言ってるわけじゃなくて。何よりも食べ物を愛している私がつくるのだからすごく気持ちが込もっている。 お料理が得意な方は、それは私だって同じ️ってお思いでしょう。それはもちろん。作る人みんなそういう気持ちでいいと思います。むしろそうあってほしい。     レシピや組み合わせを考える時、私はうーーーん、って目をつぶります。(本当に目を閉じてうーんって言います。)で、素材と素材を出会わせて、一旦聞いてみる、(誰にですか?それは私もわかりません。)でもそうしたらそこにか、×か答えが出てくる。 ならばそこに香りをプラスしてみる。ついでにアクセントも何か加えてみる。鼻をクンクン鳴らしてみる。よし、。でもあと一味なにか物足りない、じゃ、もうひとアクセント。 例えば甘いものは甘くなきゃいけない、とか塩味だったら塩系とか、そういう概念を取っ払うと   とっても楽しい味が生まれてくる。   あんぱんと味噌汁って意外にイケるんです   …ってこれは極端だけど、私はたまにそんな食べ方もする。極端に極端だけど、食事する時に頭で考えて食べると、味噌汁には白いごはん、パンに合うのは洋風のもの、とか決まってしまって食の楽しみ狭めちゃう、そんな気がしません? 魚とパンも意外と合う。   サバ焼いて、パン食べてもその組み合わせも悪くありません。美味しいです。カリッカリに焼いた小麦酵母のパンにオリーブオイル垂らして、塩サバ香ばしく焼いて、新玉ねぎのマリネにパセリをちらして、ニンジンとくるみのサラダを添えてとか。   塩サバは白ご飯だけじゃないんだ!サバだっていろんな組み合わせされたいはず。   北海道展でイクラやウニ買ってきたら、父はご飯じゃなくて、これがまた、パンに合うんだよ!って言います。話は随分逸れましたが、   何を言いたいかって、 毎日毎日まいにち、お菓子のこと、日々のご飯のこと。作ること考え続けて、何十年。 まいにち毎日、その一食に何を食べるか、そのためにいかに腹を空かせるか、考えて続けて何十年。     若いときから     いっつも食べてる     食べてる写真ばっかり      そして息子も     いっつも食べてる       私にとって食べることと作ることは人生のいきがいです。いきがいとはその人の生を根拠づけるもの。 食べ物あっての私の生。私は食べたい!作りたい。そして食べたい作りたい仲間が増えるととっても嬉しいってこと。     出会いのパン第2弾、出会いのパン工房はそんな食の探求を一緒にしてくださる方を待っています。   ただ講師の先生呼んでお料理教室開くだけじゃなくて、 どうやったら美味しいもの作れるかを、一緒に考えて試行錯誤して、そして納得のいく味を自分たちの手で作り上げていく。 そんな場所を作りたい。 マフィンのトッピング考えたり、カレーをルーから作ったり 子どものおべんと作ったり 生ハムみんなで取り寄せてワイン片手に語ったり。     こんな工房、素敵じゃないですか?   皆様のご支援心からお待ちしております。   やまぐちはるか  


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