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江戸時代から続く香川のお庭・中津万象園を応援してくれる人の輪を広げたい!

明治以降、民間の手で守り継がれてきた貴重な大名庭園「中津万象園」。これからも守り続けるために、応援してくれる人を増やしたい!というプロジェクトです。

現在の支援総額

1,430,000

190%

目標金額は750,000円

支援者数

110

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2017/01/21に募集を開始し、 110人の支援により 1,430,000円の資金を集め、 2017/03/31に募集を終了しました

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江戸時代から続く香川のお庭・中津万象園を応援してくれる人の輪を広げたい!

現在の支援総額

1,430,000

190%達成

終了

目標金額750,000

支援者数110

このプロジェクトは、2017/01/21に募集を開始し、 110人の支援により 1,430,000円の資金を集め、 2017/03/31に募集を終了しました

明治以降、民間の手で守り継がれてきた貴重な大名庭園「中津万象園」。これからも守り続けるために、応援してくれる人を増やしたい!というプロジェクトです。

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  プロジェクトを開始してから18日が経過。約1/4が終了しました! 「目指せ、サポーター100人!」に対し、ご支援いただいたのが32人。 うーん、ちょっとドキドキする感じの推移です。大丈夫かなあ…。 でも、嬉しいありがとうございます!   前々回のレポートにも書きましたが、サポートしていただいた皆さまに、 「わあ、良いことしたうえに、トクまでしちゃった!」 と思っていただけたり、 「ずっと応援し続けたい!」 と思っていただけるくらい、頑張る姿をきちんと見せ続けたり………ということを、本気で目指す責任が、わたしたちにはあります。   いちばん分かりやすいビジョンとして、 を掲げていますが、それには、「年6回、お庭に来るのが目標だね!」と、お客さまに意識付けしていただけるようなツールが、まず必要なのでは…????? その発想から今考え中なのが、お礼の品の中にもご用意してある「サポーターカード」です。 どういうふうに使うかと言うと…。 基本的には、受付で「サポーターカードください!」というと、誰でももらえます。 で、来園のたびに、一個ずつハンコを受付で押してもらいます。 有効期限は1年間で、枠は6個。 つまり、1年間に6回お庭に来ると、「カードがいっぱいになった!」ということになります 「カードがいっぱいになったら、どうなるん???」   …・はい、もちろん、ちゃんと考えています 中津万象園のコアなファンやで!…と分かるような、非売品グッズをご用意しています。 そのグッズのデザイナーさんが、こちら! 京都のナワチアトリエの、縄稚 貴靖さん。 どんなグッズを用意しているかは、次回のレポートで


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  さて、昨日は、第1回目のお茶席(全13回)。 あいにくの雨&丸亀ハーフマラソンというイベントデーでしたが、23名のお客さまにお茶席をのぞいていただくことができました! 雨降りの寒い中、昨日の第1回目のお茶席にお越しくださった皆さま、ありがとうございました! 「がんばってね!」を直接聞けたことは、本当にうれしい機会でした それにしても………「夏と冬はお客さまが少ない」とは聞いていましたが、本当に少ない…(;>_<;)!   うちは今年から「年中無休→水曜定休」に変更したので、稼働日数は約312日くらいかと思いますが、年間の入場者数が、3.5万人くらい。   となると、1日の来園者は100人ちょっと。   オンシーズン、オフシーズンで凸凹あることを考えると、あんな感じなんだろうナーとは思いますが、やっぱりさびしいなあ。   はやくサポーターの皆さまと、作戦を練ってみたいな。 今週末(2/12)も、引き続きお茶席を開けますよ めざせ、サポーター100人!!!!


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  実は、今回のクラウドファンディングプロジェクトで「サポーター」を募ることを通じて、もうひとつ「しなきゃならない!」と感じていることがあるんです。   それは…・ ということ。   今回のプロジェクトで、皆さまにお礼としてお送りする(10000円以上)のは、「中津万象園にフリーパスで入れるカード(各種サービスあり)」です。   モチロン、「思いに賛同して、寄附として出すんだよ!」というかたも多いと思います。(ありがたいなあ…本当に感謝しています!)   でも、そのお気持ちに甘えちゃうのでええんだろうか?? ホントにそれで、このお庭に継続的に賑わいと応援の輪が生まれるんだろうか??   …と思うんです。 「わあ、良いことしたうえに、トクまでしちゃった!」って思ってもらえるように頑張ることが、ホントのミッションじゃないのだろーか。 そこで、冷静に、考えてみました。 まずは、与件整理。 〇入園料、美術館の入館料(常設・特別展)   〇フリーパスとなる賛助会のサービス内容 これが、今回のミッションの与件です。   これをもとに、ごくシンプルにシミュレートしてみました。 「3人で行動することが多い」かた向けと、「2人で行動することが多い」かた向けのシミュレートです。(*実際には、3万円の場合は4人までOKです。お客さまをお連れする機会の多いかたのご活用が多い。)   園には、併設された和食処があるので、たまにはランチを食べて半日過ごすと…。 (※手書きでキタナクテすみません!)   なるほど。   入園シミュレートと、ランチシミュレート、そしてそれぞれフリーパスで入れる人数に、ちょっと整合性がありませんが(トホホ)、なんとなくイメージとして、「年に6回は、お庭なり美術館なりに足を運びたくなる」ことを目指せれば、 「わあ、良いことしたうえに、トクまでしちゃった!」 を実現できそうな気配がします。   では、わたしたちのミッションは、コレですね。 サポーターになってくださった皆さまと、考えていけるようにしたいと思います! 甘えずに、私たちもちゃんと頑張らないと!  


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  目指せ!サポーター100人!を掲げた今回のプロジェクト。    じわじわと25人まで増えていた昨日、新しく「応援しますよー!」と名乗りを挙げてくれたかたがいらっしゃいました! それは……丸亀の陶芸教室、一穂窯さん!!!! で、「わあ、ありがとうございます!」と言った後で、ふと閃いたんです。   …一穂窯さんって、かわいい陶器いっぱい焼きよるやん。 抹茶茶碗って、ないんかな。今回のプロジェクトで公開するお茶席で、使えるとイイナ。 聞いて見ると…。 わーい、ありました! 「鯉のぼりの時期に、ニシキゴイをイメージしてつくったのよ」という多田里美さんの作品です。 うちも大名庭園なので、数は減っていますが、もちろん、池にはニシキゴイが。 なんてタイムリーなんでしょう! 早速採用です お店&教室(陶芸体験ができる)に入った瞬間から、笑顔が満開の一穂窯の多田さんのお茶碗は、なんだか縁起がいいですネー! 大切に使わせていただきます! このお茶碗が、お茶席で出てくるかもしれませんよー。   (写真は多田里美さんの笑顔)   ちなみに、こんな可愛い豆皿も。菓子皿として使っちゃおうかな。 皆さまの応援のおかげで、元気に前向きに「目指せ!サポーター100人!」に向かって頑張れそうです!


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「万象園の歴史的な説明を聞きたい!」というリクエストにお答えする第二弾のレポート。テーマはずばり…「京極家!」そのものです。…つまり、家系図(笑)。(マニアックすぎてイヤ!というかたは飛ばしてください)実は、京極家って、名門です。そして、皆さまもよく知っている家系です。 それは、こちら! そう、「浅井家3姉妹(茶々、初、江)」にまつわるエピソードですね!浅井の三姉妹は、それぞれ豊臣、京極、徳川に嫁ぎます。   それを“京極高次”の視点から表現すると、 ・信長の妹・お市は、“おば”。 ・お市の娘の茶々に憧れられていたかも。(妹の初がお嫁に来た。茶々は、いわずとしれた秀吉の愛妾・淀君となる) ・姉妹・竜子は、秀吉の側室「松の丸殿」となった。 ・二代目将軍秀忠とは、その正室である江と、妻・初が姉妹であるため縁続き となります。   ただ、そういった縁戚関係ゆえに、「妻や姉妹の七光りで出世した蛍大名だ」と失礼なことを言われたこともあったそう。   しかしその後、関ヶ原の戦いで功を挙げ、一国の大名として復活します。   そしてそんな京極家ゆえに、たいていの年表では、その高次あたりをクローズアップされることが多いのも事実。。。   京極丸亀藩が誕生したのは、高次→忠高→高和と2代も下ったあとなのです。 そこで、それ以降にも注目した家系図をつくってみました。 (真鍋による作成ため、誤りがあった場合は申し訳ありません!)     こうやってみると、京極家というのは、なかなか実子に恵まれにくい家系だったのだなあ…ということが分かります。   そもそも丸亀に転封になったのも、忠高公に子どもがおらず、甥である高和公に家を継がせることになったから。(このときに活躍したのが“京極にすぎたるものが三つある。ニッカリ茶壺に多賀越中”の、家老・多賀氏)   ちなみに、この高和公については、ホントは忠高公の側室にできた実子だったのに、正室の初(2代目将軍秀忠の子。同じ名前でヤヤコシイですが、浅井三姉妹のうちの京極家に嫁入った初からすると、姪ですネ)に憚って甥とした、という説もあるそう。   この初と忠高公は夫婦仲が悪く、初が死の床にあるのに忠高公は見舞いにも行かず、将軍秀忠の不興を買った……というエピソードもあるようですよ。