2017/06/26 16:14

 

第2集は、昭和40年頃の南宮崎駅舎が表紙となっています。

 

南宮崎駅は、大正2年に宮崎軽便鉄道が開業した時は「赤江駅」、その後大正4年に「大淀駅」、昭和17年に現在の「南宮崎駅」と名称を変えてきました。

 

私たちが学んだ大淀小学校・大淀中学校では新学期やお別れ遠足はこの南宮崎駅から軽便鉄道に乗って「こどものくに」へ行くのが定例でした。

 

この南宮崎駅前の様子については近くで「高橋食堂」を開業していた高橋和昭さんが、駅前で待機している宮交バスの写真と共に、この付近には沢山の食堂や土産品店等があったことを詳細に纏めて頂きました。

 

そのほか第2集では「祭りいろいろ」と題して、「天神様の夏祭り」での「お神輿担ぎ」の体験談や善栖寺の「水かけ地蔵祭」”じぞうさまちょうせー”の掛け声、「神武さま」の獅子舞の想い出等をマチオモイ帖製作委員会中川雄一会長が挿絵をまじえて綴っています。

 

 

昭和28年生まれの小八重さんは「子ども達の遊び」として「8マラ」や「長馬があったことを挙げられています。この挿絵も中川雄一会長の作画です。

 

 

白石(旧姓長友)さんは、50年前の京塚町の様子を見取り図を添えて紹介しています。その中では、近くのため池でトンボ釣り(ギンヤンマ)を楽しんだ想い出等を綴って投稿して頂きました。挿絵は同じく中川雄一会長です。

 

 

第2集の裏表紙には当時のマチオモイ帖製作委員10名の顔写真が掲載されています。

 

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