こんばんは!
都於郡地域づくり協議会の飯牟禮です。
今日は、伊東マンショの漫画制作のために、都於郡城史研究会の皆さんが集まり、漫画家さんと顔合わせをし、漫画家さんが持ち寄った話の流れを元に、各々が調べ、知りうる知識などを交換し合いました。
伊東マンショの生涯について、様々な文献があるので、まずは漫画家さんに、あれやこれやと資料を提供。
他にも、皆さんがおすすめする資料などを教えていただき、漫画家の里見さんも、元より歴史好きということもあり、目をキラキラさせてメモをとっていました。
皆さんから寄せられたお話は、どうやら本格的に描いていくと、30ページには収まらない程の内容で、これらをどう漫画家さんがまとめていくか…隣で見ていた私は、若干の心配と、資金さえたくさんあれば、30ページと言わず、この熱い内容が、もっと皆さんにお届けできるのに…。
しかし、今回はダイジェスト版。
皆さんに、伊東マンショという存在を、いかにわかりやすく伝えるか、興味を持っていただくかが、今回の目的です。
もちろん、多くの支援が集まれば、ページ数の増加や、寄贈する地も増えます。
今日の会議でも、話していたのですが、最近テレビでも随分伊東マンショが取り上げられるようになったにも関わらず、
「伊東マンショって、結局何をした人なの?」
という質問をされるようです。
「私はね、伊東マンショがテレビに取り上げられた時に、知人に、『伊東マンショって結局何をした人なの?』と聞かれて、うまく答えられなかったんだよ。自分の地元の偉人のことだと言うのに、すごく恥ずかしい思いをしたんだ。」
そう、研究会の知り合いの方が言っていたと話してくださいました。
「だからね。ぜひ、漫画の制作は成功させて欲しいし、ぜひ読ませていただきたい!」
そう、おっしゃっていたそうです。
そう、読みたい!って言ってくださる方は、結構いるんですよ。
全く興味がないわけじゃないけど、だからと言って、文献をガシガシ読むほどの気力はないといった所でしょうか?
でもね、わかります。
起案者の私がそうなんです。
私は、伊東マンショの歴史は、本ではなく、自分の子供たちや、ネットから知りました。
一番のきっかけになったのは、伊東マンショ没後400年記念事業の際に、大好きな演劇が公演されると知り、キャストを募集していたので、親子3人で出演させていただきました。
30000円コースにも入っているのですが、大和優監督が書いた「伊東鈍満所」の台本がそれなのですが、非常にわかりやすく、そしてドラマティックに仕上がっています。
特に「豊後落ち」のシーンでは、島津藩から逃げのびるため、冬の寒い時期にけわしい山道を歩きます。そんな中、追っ手が近くまでせまっています。
足に怪我をおった母親は、年老いた祖母を連れ、先に逃げなさいと子供に伝えます。
「生きるのですよ…」
逃げゆく子供の背を見送り、逃げきれないと分かった母は、崖から身を投げます。
先に逃げた子供が、母を案じて戻ってきます。
母の使っていた杖が、崖の近くに落ちているのを見つけます。
崖の下には…
それを見た子供は…母を追って、そのまま身を投げます。。。
実際、豊後落ちでは、多くの人が、過酷さに耐えきれず、身を投げたと言われています。
マンショが豊後の道を、国広に背負われて逃げたのは、わずか8歳の時でした。
私も子供を持つ身なので、自分の子供がわずか8歳という歳で、そんな過酷な経験をしたのかと思うと、胸が苦しくなり、これを書いている今ですら、涙が出てきます。
マンショの辛い旅は、何も豊後落ちだけではなく、天正遣欧少年使節に選ばれた後も、長い船旅、過酷な海上生活。
風が吹かず、なかなか進まない日もあったでしょう。
照りつける太陽に耐える夏の暑さ…エアコンなどありません。
喉の乾きや空腹もあったでしょう。
それらに耐え、着いた先の海外生活。
今みたいにバスや飛行機で楽に移動ができたわけではありません。
しかし、彼らが見たものは、日本にはない見たこともない文化と歴史、圧倒されるような芸術的な建物…。
全てが輝いてみえたことでしょう。
彼らは早く日本にそれらを伝えたかったと思います。
また、長い過酷な旅を続け、2年半という長き日を耐え、やっと日本に帰ってきたマンショ達。
帰国し、豊臣秀吉に謁見した際は、秀吉にその素晴らしさを伝え、見初められる程の優秀さを見せた伊東マンショ。
しかし、マンショの信念は、揺るがず、秀吉の申し出を断ります。
さぁ、これからが自分たちの本当の活躍の場だ!
そう思った矢先の切支丹弾圧…。
本当に…茨の道でありました。
そんな中、自分の信念を貫き、多くの人々を希望へと導いた姿は、今の子供たちに知って欲しいし、強く学んでもらいたいと思っています。
私のきっかけは演劇ですが、漫画というものは、子供から大人まで手に取りやすく、そして見やすくわかりやすい。皆さんには、私たちの作った漫画を窓口にし、伊東マンショの歴史に興味をもってもらいたいと思っています。
伊東マンショの思いが、時を越えても尚生き続ける…私たちは、今回の漫画はもちろんのこと、語り部の方々、ガイドボランティア活動など、様々な形で、これからも伝え続けなければならないと思っています。
どうかお願いします。
伊東マンショの生涯を漫画に残すプロジェクト、ぜひ応援をお願いします。
あと残りわずかですが、皆さんのあたたかい支援をお待ちしております。