「不撓不屈のむら」川内村でエネルギー民主革命の歴史を知るプロジェクト

明治から昭和に至る産業変革期において、明治政府による山林の国有地化から村人たちが自らの入会地を取り戻し、木炭生産のイノベーションを興して「炭焼き日本一のむら」が出来上がった。不撓不屈のむら・川内村の歴史を明らかにするプロジェクト

現在の支援総額

115,000

23%

目標金額は500,000円

支援者数

17

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2015/12/24に募集を開始し、 2016/02/25に募集を終了しました

「不撓不屈のむら」川内村でエネルギー民主革命の歴史を知るプロジェクト

現在の支援総額

115,000

23%達成

終了

目標金額500,000

支援者数17

このプロジェクトは、2015/12/24に募集を開始し、 2016/02/25に募集を終了しました

明治から昭和に至る産業変革期において、明治政府による山林の国有地化から村人たちが自らの入会地を取り戻し、木炭生産のイノベーションを興して「炭焼き日本一のむら」が出来上がった。不撓不屈のむら・川内村の歴史を明らかにするプロジェクト

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

炭窯のつくり方
2016/02/22 19:55

私たちが何気なく使っている木炭ですが、いったいどのように作られているのでしょうか。今回は炭窯をつくるところから、師匠に習うことができましたので公開していきます。 今回は師匠がずっと炭焼きを続けられてきた窯の土台が残っており、そこを活用する形でつくっていきます。土台は石組みのしっかりしたもので、底の部分に砂利を敷いてキッチリと水平状態にします。そしてそこの上に土を盛っていきます。川内村のこの地域の土は炭焼きに最適と言われており、適度な粘り気と乾燥しても崩れない強さを備えています。 床に当たる部分の土を詰めて固めたら、そこに炭にする木を並べていきます。この木の並べ方によって炭窯の形が決まるので、大きなものと小さなものを上手く組み合わせる必要があります。 木を並べた上に土を盛って、炭窯の天井をつくっていきます。このまま焼くことによって天井が固まり、炭を取り出しても炭窯として完成するわけですね。土は木でつくった杵で叩きまくることで固めていきます。叩き方が甘いと、そこにヒビが入って中から煙が漏れたり、空気が入って内部の木がどんどん燃えてしまう原因となりますから注意が必要です。 土が固まった窯は、ある程度水分を含んでいるために濃い色をしていますが、炭焼きをしている間に水分は飛んでいき、次第に明るい色になっていきます。 形が決まったら、炭の出し入れをする口を開けます。ここから火を焚くことで炭窯の内部の温度を上げていき、木から水分を飛ばしていくわけですね。 炭窯のつくり方は以上の通りになります。次回は実際の炭焼きの様子についてレポートしますね。お楽しみに!


避難と定住
2016/02/21 11:43

川内村を含む福島県浜通り地方では、震災から5年が経っても未だに10万人もの人々が避難生活を送っています。そしてそれは地震や津波という自然災害が原因ではなく、原発事故という人災の影響である事実をどれだけの人が認識しているでしょうか。 住民票人口と国勢調査人口の違い これら浜通りの自治体においては、住民票登録してある人口(≒震災前の人口)と国勢調査の人口(≒現在の定住人口)に大きな差異が生まれています。国勢調査は戸別に訪問したりアンケートに回答したりする実態調査ですので、よりリアルな状況が見て取れます。 浪江町、双葉町、大熊町、富岡町は依然として全町避難指示となっているため国勢調査人口は0となっています。また放射性物質の飛散が多かった飯館村、葛尾村もまだ住民帰還は始まっていません。一方で川内村や田村市、川俣町といったあまり放射性物質が観測されていない地域では帰還が本格的に始まっていると言えます。 原発避難、住民票残したまま定住多数 復興計画に影響も 東京電力福島第一原発事故で避難を強いられた人々が避難先で、新居を構える動きが加速している。事故から5年がたとうとし、安心して暮らしたい人が増えている。だが、ふるさとへの思いや、自治体からの助成を受けられなくなる都合などで、住民票を残したままの人も多い。復興計画に影響する可能性もある。 <朝日新聞デジタル>記事より抜粋 定住とは何か、を問いかけた震災  現在、日本全国の自治体が地方創生にまつわる総合戦略を策定し、定住人口=住民票を移してくれる人々を増やしていこうと考えています。しかしながら同じ日本国内において、住民票を置く場所とは違う自治体に住んでいる住民が存在する事実は、ある意味ダブルスタンダードと呼べるでしょう。 その地域に定住しているという意味は何なのかを再定義する時期に差し掛かっているとも考えられます。最近は二拠点居住や遠距離通勤といったライフスタイルも出てきており、決して住民票を置くことが定住しているとは言えないケースも増えています。 それよりも地域を維持していくための自治的活動への参画であったり、美しい風景や土地に対する愛着を醸成して住み続けたいと思う気持ちをどのように高めていくか、そういった形には見えない部分を大切にしていきたいですね。


東日本大震災からもうすぐ5年、「もう5年」と捉えるか「まだ5年」と捉えるかは人それぞれかと思いますが、日を追うごとに私たちの日常生活の話題に上ることは減っていっているように思います。あの時に感じた不安や恐怖、あるいは世の中が変わるのではないかという予感も、記憶とともにどんどん薄れていってしまっています。 「みらいへの手紙」―福島の現状を描いたアニメ   今回、東日本大震災後の福島の現状を伝える実話を基にした短編ドキュメンタリーアニメ「みらいへの手紙~この道の途中から~」が公開されました。この5年間に福島県内で起こった様々なエピソードをオムニバス形式で10本のストーリーとしてまとめたもので、そこにはもちろんモデルとなった実在する人たちが存在しています。 <iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/8GEv8rQt3h4" frameborder="0" allowfullscreen></iframe> 川内村が舞台となっている作品は以下の2本、それぞれがじんわりと温かい気持ちにさせてくれるエピソードとなっています。是非ご覧ください! 「福ちゃんがやってきた」 「ちかちゃんの卒業」 美談でも悲劇でもなく、等身大の暮らしがそこにあってそれが急激に変化したという現実。そこに対して気持ちの面で追いついていない人々がほとんどなのだと思います。本人が語ると重苦しくなってしまう話でも、アニメ化することによってコミカルかつ俯瞰して描くことが可能となっています。 ナレーションを担当するのは、福島県出身でドラマなどでも注目されるディーン・フジオカさん。自らの記憶の中にある福島での暮らしを思い出しながら、それぞれのストーリーのイントロダクションを読み上げています。 人間はそんなにヤワじゃない。 私たちはどうしても、復興や地方創生といった言葉の裏には、同情や貢献といったある種の上から目線を抱いてしまいがちです。でも一度でも福島の人々の暮らしに触れてみると、そんな偉そうな言葉が肩透かしを食らうような日常を送られていることに気づきます。人間はそんなに軟弱じゃないし、ある種の鈍感さによって私たちの気持ちが豊かに守られているという生きていく強さを実感できる機会を、今後もつくっていきたいと思います。


川内村の秋元通さん・一子さんのお宅で地域の山の幸を中心とした郷土料理をいただきました。このような食卓を囲みながら、地元の先輩方に様々な暮らしの知恵をお聞きする貴重な機会となりました。 秋元さんのお宅では、立派な囲炉裏と南部鉄器でコトコト煮込んだ田舎汁をご馳走になりました。この日に合わせて飼っている鶏を解体していただき、そのお肉も入っていました。有り難くいただきました。 秋元通さんが近くの沢で釣ったイワナやヤマメは素揚げして頭から丸ごと齧りつきました。現在は木戸川水系での釣りも解禁されており、放射性物質の検出もされていないとのことです。また、福島県ではよく食べられている烏賊人参は、冷蔵庫が普及していなかった時代にはこの正月の寒い時期にしか手に入らない貴重なものだったそうです。 その他、食卓に並んだのは秋元さんのお宅の半径5km以内で採れたものばかりです。春に摘んだ山菜は塩漬けにしておけばいつでも戻して食べられます。数畝程度の畑でも夫婦で暮らすには十分すぎるくらいの野菜が収穫できるそうです。この時期は根菜類が豊富で味が濃いものが採れるとのことですが、今年はなかなか雪が降らなかったために霜害によってダメになってしまったものもあったそうです。 また食後には、参加者有志による「ひょっとこ踊り」も披露されました。ひょっとこ=火吹き男ということで、炭焼きにはぴったりの伝統芸能です。地域での暮らしや人生の機微をコミカルに表現するのは面白いですね。今後はこういった芸能の取組みもどんどん進めていけたらよいですね。


「ひょっとこ踊り」をご存知でしょうか。ひょうきんなお面を被った道化役の男性が、おかめ役の女性とともにコミカルな踊りを舞う民俗田楽の1つとして、多くの地域で伝承されています。ひょっとこは元々は「火吹き男」であり、竈や風呂釜などで火に竹筒で空気を吹く様子を表していると言います。 (画像をクリックすると動画が再生されます) 2016.1.31 炭焼きプロジェクトを開催しました 1月31日に開催した「炭焼きプロジェクト」は、まさに炭に火を着けることで地域に火を着ける、そんなひょっとこたちの宴でした。炭焼き師匠の菅波勇己さんと、山のことなら何でも知っている小林幹夫さん、そして郷土料理でもてなしてくれた秋元通さん・一子さんご夫妻。そんな地域の皆様のご厚意に甘えながら、いろいろなお話を伺いました。 参考記事:【3.11から4年】被災地ルポ 川内に自然公園を 秋元通さん 森林整備に汗 避難指示 解除地域  まずは炭焼き窯の見学と出来上がった木炭の取り出し作業を、菅波師匠と弟子の関孝男さんの説明を受けながら始めます。年末から炭焼きを始めて、今回は3回目の木炭の取り出し(三番窯)だということで、ある程度時間を調整して今回のイベントに合わせていただきました。(炭窯を造る様子については、支援者限定レポートでお届けいたします。) 炭焼き再開に至るまでのエピソード 菅波さんと関さんの関係は、まさにスターウォーズのジェダイマスター(師匠)とパダワン(弟子)のようです。菅波師匠は「炭焼き日本一の村」の技術の最後の継承者なのですが、震災が起こって仮設住宅に避難し、もう一生炭焼きをすることもないだろうと炭窯を壊してしまっていました。しかし移住者である関さんの熱意によって、師匠は再び炭焼きを行なう決心をして、その技術を後継者へと引き継いでいくことになったのです。 今回もスターウォーズと同様にエピソード4から始めて、震災やそれ以前の村おこしプロジェクトなどの紆余曲折を含めて、エピソード1~3をまとめていきたいと考えています。  川内村の木炭は、ナラやクヌギなどの広葉樹の黒炭が主です。日本農林規格(JAS)によって品質が厳格に定められ、とくに良いものは切り口が菊の模様に見えることから、「菊炭」と呼ばれて茶道や贈答用として使われます。低めの温度でゆっくりと水分を飛ばしていくのがポイントのようで、菅波師匠の熟練の技を早く盗んでいきたいと思います。 炭焼きを取り戻すことは、誇りを取り戻すこと。 実はピーク時には、今回の炭焼き窯の5-6倍の規模の窯で焼いていたそうです。そして大きな窯の方が、菊炭のような高品質のものがたくさんできるということで、是非とも窯を徐々に大きくしていく挑戦をしていきたいと考えています。  印象的だったのは、炭焼きを復活させてから菅波師匠がみるみるうちに若返って、誇らしげな雰囲気を取り戻していったことです。年末に伺ったときよりも動きがしなやかで、表情も豊かになっていると感じました。 恐らく、全村避難による仮設住宅暮らしを経て村に戻ってくるまでの紆余曲折や、13歳から60年以上も続けてきた炭焼きに対する様々な想いが去来したのでしょう。最後には師匠の目に涙が浮かんでいました。(プライベートかつデリケートな問題を含むため、これらの経緯については支援者限定のレポートとして別途掲載したいと思います。) 引き続き、秋元通さんのお宅でいただいた郷土料理に関するレポートもお送りいたしますので、お楽しみに!


新しいアイデアや挑戦を、アプリで見つけるcampfireにアプリが登場しました!
App Storeからダウンロード Google Playで手に入れよう
スマートフォンでQRコードを読み取って、アプリをダウンロード!