川内村は最盛期には全国消費の50%の木炭を生産していた地域である、とご紹介しましたが、今の時代においてはそれがどれだけ価値を持つのでしょうか? 外部に対する依存に気づかされた震災 最近は雪が降ったりして、交通機関が寸断されたり生活物資の供給が滞ったりと、日常生活に支障をきたすケースを時々体験します。そのときに思い出すのが5年前の震災の際に、家まで歩いて帰ったことであったり、物資や電力供給が不安定になって不便な思いをした記憶です。自分たちの便利な暮らしはこれほどまでに外部の産業やサービスに依存していたのだ、と気づかされたのがあの日の出来事でした。 炭焼きというのは人間が山から木材を伐り出し、土を練って炭窯をつくり、一定期間水分を抜くために焚き上げることで重量を軽くして可搬性を高める取組みです。実は山村で消費する分には、薪を使えば十分に日常生活は賄えるのですが、山村から都市部に対してエネルギーを供給するために、炭にして軽くすることで牛や馬で運んでいたわけですね。 炭焼きの歴史は産業革命の歴史 つまり、炭焼きとは人間が生活のためのエネルギーを得る生業であるとともに、山村が都市部から現金収入を得るための最初の依存の仕組みをつくった産業革命という背景があります。この炭によって都市部においては飯を煮炊きして暖を取ることができるようになり、専門的な職人集団が生まれていったという歴史があります。 もちろん、炭によって単位当りのエネルギー密度を高めることで、鉄を精錬する鍛冶屋という職業が生まれたり、その色褪せない黒さを活用して文字を書くための墨汁が開発されたりといった、現代文明においてそこから派生していった生活技術には事欠きません。 炭焼きはロマンである。と言われる理由 単純に土を練って炭窯をつくるプロセスは、幼い頃に砂場で山をつくった経験を呼び起こすような、人間の根源的欲求を満たす体験となります。煙の様子を確認しながら、炭ができる様子を待ちわびるのも手間をかけた分だけ喜びもひとしおでしょう。身体全体を使って五感で感じながら、自らの身体性を呼び起こす。それこそが炭焼きがロマンであると言われる由縁でもあります。 このように、炭焼きを巡る人間文化を広く考察していくことが、実は現代社会においてこの炭焼き体験が大きく価値を持つことに他なりません。我々が便利さとともに失った自らの生活を営むための技や知恵、そしてどのように暮らしを形成していくかというクリエイティブな想像力こそ、この炭焼きという深淵なる生業を通じて取り戻していただきたい価値そのものです。





