2013/09/10 23:09

秋田取材3人目は、NPO法人秋田県南NPOセンターの奥ちひろさんでした。
秋田県は県北、県央、県南とエリア別に、NPO・市民活動を支援する組織があります。奥さんが所属するのは、横手やきそばなどで知名度の高い、県南エリアの横手市です。様々な市民活動の支援、広報誌作り、若者会議の運営などを担当し、県内を駆け回り活動されています。
【地域の狭さに夢が持てなかった】
横手市に生まれた奥さんは、「とにかく地元を離れたかった。幼少期から、親にも先生にも誰にも言えない、一人では解決できない悩みを抱えて苦しんでいた」。その答えを求めるように東京の大学へ進学。
【近所に行き場のない子どもたちの集まる場があって、まるで自分を見ているようだった】
「初めて一人暮らしをしていた家の近所には、NPOが運営する子育て支援の施設があって、行き場のない子どもたちがまるで、自分をみているようで、自然とそのNPOをお手伝いするようになっていました」。そこのお手伝いをさせていただく中で、自分自身の抱える課題ときちんと向き合わなければいけない。そう思って、そのNPOからは一時距離を置いて、自分自身と向き合う時間をつくりました。
【秋田が滅びる夢を見て、私が帰らなきゃ秋田が滅びる!】
大学に入学し出身は?と尋ねられて、「平鹿町(ひらかまち)ですよ!」というと、「みんな、え、どこ?」って…(笑)。東京に出ても、そう答えている自分がいました。あれだけ嫌だった秋田を自分のアイデンティティとして捉えなおすはじまりでした。秋田の物産品販売のお手伝いをしたり、秋田出身のオーナーが経営する居酒屋「なまはげ」でバイトしたりしました。やはり秋田から離れられず。
そんな生活を送る中、ある夢を見ることに。「まずはおばあちゃんが死んで、年老いた父と母がいて、思うようにできないことが多くなって、近所の人たちもみんなそうで…」そんな夢を見たら、「私が帰らなきゃ秋田が滅びる!」と思ったそうです。
その後、突然、父親が倒れたのを機に、大学卒業後は秋田へ帰ることに。
一度は嫌で離れた秋田。NPOに入って、もう一度秋田を発見していくのです。(続)





