2013/09/09 00:05

秋田取材の2人目は、ココラボラトリー代表の笹尾千草さんでした。
【秋田は刺激がなくて嫌だ!将来は、美術館やギャラリーで働きたい】
秋田県五城目町に生まれた笹尾さん。「秋田は刺激がなくて嫌だ!」と、飛び出すようにして入学した京都造形大学。入学早々、2つのカルチャーショックを受けたそうです。一つは関西出身の同級生は皆、目標が明確で具体的、かつアートに関する知識や経験が圧倒的に豊富であったこと。もう一つは、同じクラスに山形出身の子がいて、地元が大好きだと胸を張っていること。そんな両者の間で、「"田舎出身"のコンプレックスや、自分の存在感のなさ、根無し草的なアイデンティティを感じていた」
【伝統工芸の将来に不安を感じていた。素材・手工芸の良さを伝えたい】
在学中、すっかり京都が好きになった笹尾さん。「"お茶"や"お寺"など色んなことにハマりました。中でも『竹』が気になって職人になりたい」と思い、色んな伝手で、竹材店の修行に入りました。3年半経って、工房に出入りしたり、デザインさせてもらったり、何から何までやらせてもらえるようになりました。
そんな頃、職人を目指す異業種の同年代10人くらいが集まって、「地下茎」というグル―プをつくって活動を展開。
「皆、時代の変化を感じていて、伝統工芸の将来に不安を感じていました」
毎週、どんなに忙しくてもみんなで集まって、「同年代にも"工芸品"の良さを伝えるためにはどうしたらいいか?」カフェやクラブでイベントを開くなどの活動していたそうです。
「活動を続けていると、台湾大震災の復興イベントに招かれて、現地の竹で、現地の職人さんたちと一緒に巨大なオブジェをつくりあげたんですが、これが、好評でした」この経験から、メンバーのそれぞれも「進むべき道が見えてきた」ということで、グループは発展的に解散。それぞれの道に向けて歩み出しました。
笹尾さんは、「関東で竹の店をはじめよう」と思っていました。その前に一度、秋田へ帰ってみようと帰郷。その時の出会いが、現在のココラボラトリーへと繋がっていきました。
(次稿へ〜)





