2013/09/04 00:41

(田宮さんレポ・前稿のつづきです)
2009年リーマンショック後、同年代の仲間たちが、「売れない時代」に東京を出ていく動きをはじめたこと、「経済成長を前提にした仕組みがおかしい」と見直し始めたそうです。
「これからは地方が面白くなるんじゃないか」
なんとなく働いた勘。そして、もともと40代までに地元に帰りたいと思ってたことを少し早めて帰郷することにしました。
特に仕事のあてがあったわけではなく「何とかなるだろう」との想いで、2009年12月秋田に帰郷。
「今ある"いいもの"がこれ以上なくならないように」
秋田に15年ぶりに帰って来た田宮さんは、その間を取り戻すためにとにかく色んな人との出会いを求めて県内を動き回っていました。その頃の自分は、秋田の「課題探し」をしていて、「マチにコミットしたい」「何か一緒に出来ないか?」ばかり考えていたけれど、様々な出会いの中で「商品も、サービスも自分でつくらないといけない」と思うようになりました。それも「食器や雑貨など、日常的に使ってもらえるものを作りたい」
東日本大震災後、よりシンプルに考えるようになったそうです。
「身近にできることはあって、その質を高めていく。遠くの誰かに認めてもらうことより、身近な人に、みんなにいいねって言ってもらえるようなこと、それを自分でつくる」そう考えるようになったそうです。
でも、「自分は何か特別にできることはなく、もっと多くの仲間やパートナーを増やしていきながら、そんな自分でも、"意外とやれるよ"と見せられるようになりたいし、だから、みんな帰ってきたら?未来の子どもたちのためにも」という想いでいるとのこと。
「何か役に立ちつつ、好きな事をシンプルに出来たら」
秋田杉を使用したフォトフレーム
〜おわり〜
(インタビューは渡辺啓嗣さん、写真・編集を小林にて担当しました。このレポートも渡辺さんの感想を再構成して、掲載しています)
秋田杉を使用したフォトフレーム
〜おわり〜
(インタビューは渡辺啓嗣さん、写真・編集を小林にて担当しました。このレポートも渡辺さんの感想を再構成して、掲載しています)





