(こちらのnoteに投稿しております)
”支援”って難しい。
私はNPO法人の下でインターンをさせていただいており、脆弱層の方々のサポートをしています。
「友達(支援対象者)のために、みんなが笑顔で生活できるよう頑張ろう」
と思いながら活動していましたが、それだけではダメなのだと気づき始めました。
それは対象の方々がいわゆる「援助慣れ」してしまうこと。
みんなが必要なもの、欲しいものをすべて渡してしまうと長期的に見てみんなのためにならない。
例えば洋裁の支援団体の職業訓練を受けて、新品のミシンをもらった女性がいる。
開業して1か月するとミシンが故障してしまったため、彼女が「ミシンを修理してくれ」と支援団体に頼む。
そこで支援団体が、彼女はまだ収入を得ておらず修理するお金を持っていないから、といって無償で修理をしてあげる。
一見すると支援として当たり前に見えるかもしれませんが、彼女は既に開業しており、自力で稼ごうとしている段階です。もしミシンがもともと壊れていた場合は支援団体の責任ですが、この例では新品を供与しているため、責任は彼女に移っているはずです。それなのに支援団体がまた完全な形でサポートしてしまうと彼女はいつまで経っても支援団体の傘の下から出ることができません。
また、仮に収入が入り始めても、支援が前提にあると、自分の生活や仕事に最低限必要なもの(上の例でいえば機械のメンテナンス費、生地代など)よりも、ちょっとした贅沢品(高級な食べ物、服、娯楽など)にお金を使ってしまいがちになります。
なかなか収入を得られず、生活に苦しんでいたとしても、一時的な目の前の問題を解決する支援ではなく、自力で傘をさせるように少しずつ離れていかなければなりません。上の例でいえば、修理の業者を紹介する、一回目は費用をシェアするなどが出来るかもしれません。
これは頭でわかっていてもいざ目の前に苦しんでいる人がいて、助けを求められるとなかなか難しいことです。ですが苦しい中で自分で模索して解決策を見つけて立ち上がっていく経験がどんな人にも必要なはずです。
上からの”支援”ではなく困っている友達に手を差し伸べるのだからこそ、問題の答えを教えてあげる楽な方法ではなくて、問題の考え方のプロセスを教えてあげたり一緒に取り組んでいくほうが大変だけど必要です。