闘病が始まった時、多くの人がするように名医年鑑みたいなものを調べました。すると、ある名医が「本を見て、みなさんいらしてくださいますが、たいていの医療器具は同じですし、やることもそんなに違いはないのです。なのであなたの主治医を名医と思って信じてください。よっぽど意思の疎通が図れない、診察がいい加減ということがあれば、その時は変えるとよいでしょう」と仰っていました。
川崎の主治医になった人は10年選手で名札を見たら「淳」と。川崎は「淳与」。川崎の夫は「淳一」。(余談ですが川崎の結婚式に参列した阿川弘之氏が「淳淳(あつあつ)の夫婦」とことばを残したそうです)
名前の共通項だけで信頼感がわくという私たち、単純な一家です。余命宣告を受けた家族の思い、メメントモリを日ごろから語り合ってきた夫婦の考えなどをしたためて、淳仲間でよろしくと、川崎夫は先生に手紙を渡したほど。
さて、ここだけの話し、先生は愛嬌がなく不器用そうなので、川崎は診察から帰るたびに「彼の良さを分かる人が現れるといいのにねえ」と陰で余計なお世話的コメント、苦笑。
ところが入院中に探りを入れていたら、3月に赤ちゃんが生まれたばかりと。しかもその名前が「淳朗(あつろう)」と! さらには私の住む駅で線路挟んだ反対エリアに住んでいるというから、もう勝手にファミリー気分増幅。笑
出産した人にいつも川崎が贈るちいさな漆椀を、淳先生にもと名入れも川崎自身が書きました(わざわざ、名入れのために筆と漆を持ってきてくださった笹原みどりさんには感謝)
外側には「淳朗」、ご飯を食べ終わったらパパの「淳」が見えるように。
お椀を渡した数日後に、普段通らない近所の道を川崎と車で走っていたら、なんと赤ちゃんを抱いた淳先生家族に出会うというびっくりもあり、本当に不思議なご縁です。
病発覚後すぐに川崎の友人が 「お医者さまに恋するのよ。そうしたらいい方向にいくよ」とアドバイスしてくれましたが、信頼感を持つということはチーム戦で病を乗り越えるための必須であり、嫌な病院生活をちょっとでも楽しくできるね、なんて川崎とよく話していました。
原発癌種が明確になり、婦人科から乳腺内分泌外科に転科。淳先生から主治医は変わり、会うこともほとんどなくなりました。でも再入院したときに夜わざわざ「あのお椀でお食い初めしました」と覗いてくれたときの川崎の喜びよう。
今日、改めて淳先生に川崎の他界とお礼を伝えにうかがったら、先生から川崎宛てのお手紙をいただきました。「たくさんの患者さんと関わっているので全員にできないことは差別になる気がして、こういうことはしてきませんでしたが今回は特別です」と。
眠る川崎に読んで聞かせました。「……最後に不躾なお願いではございますが天国より淳朗を見守っていただけますと幸甚です」。
医者として客観性を保つため距離を置くことを意識して無駄口をきかずクールに装いながらも、いつのまにか「川崎さん」から「あつよさん」と呼ぶようになっていて、人間らしさが時折こぼれ見えちゃういい先生でした。