wewillmeetagainさんは、「9月7日までに、ウオールデンとキャンプファイヤー。Campfire with Walden by September 7th.」とタイトルした次のようなコラムを「note」に刻み込んでくれた。 今この記事を読んでいる方で(私がフォローしている)ウオールデン様をご存知の方は、どのくらいいらっしゃるのでしょうか? 「ウオールデン」って誰?という方は、noteの検索機能を使って「ウオールデン」をチェックしてください。硬派で骨太な示唆に溢れた記事が次々と現れてきます。ちなみにフォローは90以上、フォロワーは200以上となっています。 ウオールデン様は記事の中で、以下のように書いています。『一冊の本が世界を変革することがある。小さな出版革命はやがて草の生命力で大地に広がっていく。誰でも本が作れる。誰でも本が発行できる。誰でも出版社が作れる。この小さな革命を生起させんとする「草の葉ライブラリー」は、「CAMPFIRE」に7月23日から9月7日までの46日間、高尾五郎作「ゲルニカの旗 南の海の島」をクラウドファンディングします。「CAMPFIRE」に掲載された私たちのサイトを訪れて下さい。ウオールデンは間もなく「note」から立ち去ります。 新しい地平を開かんと苦闘するウオールデンの最後の戦いに力を貸して下さい。』 私も先日、遅ればせながら、1回支援させていただきました。支援が遅れた理由は、➀私ごときが支援しなくてもフォローもフォロワーも多いのだからプロジェクトは成功する。②クラウドファンディング初心者で何だかよくわからない。③現在無職の私には支援するお金がない。以上3つでした。 でも私は結局支援することに決めました。その理由は、➀「最後の戦いに力を貸して下さい」に応えることでウオールデン様に恩返しができる。②1日何も食べなくても(大体支援額と私の1日の食費は同じくらい)読書人として何よりもその本を手にしたい。 私は、一身上の都合で3月に退職して無職となり、年齢経験能力のせいで仕事が決まらない、さらにコロナ禍も重なり、現在も無職のままです。そんな私は、朝顔の種を植えたり(なぜか咲かない)、部屋の掃除をしたり、働く妻の送り迎えをしたりしましたが、外の世界との接触がほとんどないので(職安以外でかけるのは図書館くらい)、精神が不安定になるばかりです。 そこで私は、鬱病気味の精神状態を何とか正気に保つために、noteを始めてみました。SNS素人の無職のアラカンですから、大した記事が書けるわけがありません。noteの中の人々は社会的にもハイスペックで優秀な人々が多くて、無職の自分と比べる以前の問題ですが、自分を見つめて直しても無知と無能と乱筆乱文にあきれるばかりでした。だから「ここには自分の居場所がない。もう書くのをやめよう。書いても何にもならない。時間の無駄だ」と思っていました。 そんなある日、私の記事にコメントが書き込まれていました。初めてでした。見知らぬ「ウオールデン」という人からです。そのコメントは、ここにはあえて書きませんが、あの一行で、私は生き返りました。本当に泣きました。薄っぺらな承認欲求を超えて「お前は生きるに値する」と認められた気分でした。大げさではなくて、いつかこの恩を返さなければと思いました。 私が支援してもしなくても、プロジェクトはきっと成功すると信じています。だから私の恩返しなど、たった1件の支援には、大して意味などないのでしょう。これは単なる自己満足なのです。でも自己満足でも、満足は満足で、自分としては大満足です。 もしもウオールデン様を知っている方で、クラウドファンディングの件を知らない方がいらっしゃったら、ぜひ「CAMPFIRE」で「ウオールデン」をチェックしてください。読むに値する本を手に入れるチャンスがあなたを待っています。追伸 ウオールデン様の「間もなく『note』から立ち去ります。」が気になります。個人的には、このままずっとnoteにいて欲しいのですが……。ウオールデンから「wewillmeetagain」へ「note」という大陸に上陸して、はじめて出会った私の大切な友人、小野信也さんが品川のスキップロードで行われた小さな芸術展に足を運んでくれました。あなたは二番目に出会った私の大切な友人です。すでにあなたとは、あなたが日々繰り出す労作によって深い対話をしています。九月になったら真っ先にあなたに「ゲルニカの旗 南の海の島」を送付します。この手作りの本は、あなたを励ますでしょう。こんな本ならば、おれにも本が作れて、その本が発行できるのだと。言葉に生命を吹き込むのは、やはり紙の上だと思うのです。その時、六百ページになんなんとする大作「目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ」を同封します。あなたの日々の格闘への熱いエールです。待っててください。「wewillmeetagain」からウオールデンへのメール素晴らしい本が届くのが、それを読むことが、今からとても楽しみです。ありがとうございます。私もスキップロードにいくつもりでしたが、大阪在住なので、コロナ東京出入自粛で、東京へ行くことができませんでした。信也さんは、ウオールデン様と共に、私のnoteの師であり、『虹をつかむ人2020』の執筆のきっかけをくれました。ぜひ、ウオールデン様、noteに残ってください。お願いします。
「note」という大陸に上陸して、はじめて出会った私の大切な友人、小野信也さんが品川のスキップロードで行われた小さな芸術展に足を運んでくれました。あなたは二番目に出会った私の大切な友人です。すでにあなたとは、あなたが日々繰り出す労作によって深い対話をしています。九月になったら真っ先にあなたに「ゲルニカの旗 南の海の島」を送付します。この手作りの本は、あなたを励ますでしょう。こんな本ならば、おれにも本が作れて、その本が発行できるのだと。言葉に生命を吹き込むのは、やはり紙の上だと思うのです。その時、六百ページになんなんとする大作「目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ」を同封します。あなたの日々の格闘への熱いエールです。待っててください。
この日本には、日本最大作家たちがすくなくとも千人、人生をかけた懸命の創作活動を行っています。彼らはけっしてその作品を懸賞小説に投じません。さまざまな文学賞があるが、その賞を目指して彼らの厳しい創造がなされているわけでもありません。天職という言葉は英語では「calling」と言いますが、彼らはその生涯を作家として生きよ、作家という人生を貫けという神の声が彼の魂に届けられたから、彼らは神の指にふれるためにその作品を創造しているのです。「草の葉クラブ」はそんななかの一人、高尾五郎さんの全作品に挑み、その第一作「ゲルニカの旗 南の海の島」がクラウドファンディングされ、さらに第二作「明科神宮寺の蔵で八百年眠っていたかぐや姫」が今月半ばにもクラウドファンディングされます。この作品について高尾さんは長文のエッセイを草しています。 新編竹取物語の作者円空 それは二〇一〇年のことだった。信州を襲った台風が、明科神宮寺に立っていた樹齢三百年の杉の大木を倒すのだが、その大木は鎌倉時代に建立された蔵の上にどっと横転した。無残に押しつぶされた蔵はもはや解体する以外になく、その作業をすすめていると、その蔵の下に強固に防護された地下倉があった。その地下倉に鎌倉時代の財宝や刀剣や衣類や仏像や文書などが所蔵されていたのだが、そのなかに日本の文学の歴史を塗り替える「三浦家所蔵新編竹取物語」という文書が発見されたのだ。 この文書には「三浦家所蔵新編竹取物語」という詞書がつけられている。明科神宮もまた三浦家によって建立されたと伝承されているが、この三浦家とはこの信州の地に盛期していた一族ではなくも、はるかに遠く鎌倉時代に三浦半島に興隆した一族だった。源頼朝とともに鮮やかに歴史に登場しきたこの一族は、鎌倉幕府をささえる主要な後家人の位置を占めていたが、宝治元年、ときの執権北条時頼に反旗を翻して立ち上がる。宝治合戦と名づけられたその戦闘を、三浦一族は果敢に戦うが、幕府軍の追撃きびしく、次第に追い詰められると、一族五百余名は法華堂にたてこもり、そこで女子供まで一族すべてが散り果てる。 このとき一族の棟梁である三浦泰村は、すでにその敗北を予知していたのか、三浦家再興のためにと、その戦端を切り開く直前に、一族の財宝や重要文書などを、はるか遠方の信州の地にまで運ばせていた。「三浦家所蔵新編竹取物語」は、おそらくそれらの財宝や文書のなかに紛れこんでいたと思われるのだ。もともと明科神宮寺は、鎌倉時代に三浦一族によって建立されたという言い伝えがあったが、この文書の発見によってその伝承が裏づけられたということにもなる。宝治一年とは西暦に直すと、一二四七年であるから、「三浦家所蔵新編竹取物語」が、そのときたしかに鎌倉より運ばれてきたのであるならば、実に七百五十年も明科神宮寺の蔵の底に眠っていたということになる。 この物語がなぜ三浦家だけに所蔵されていたのか、なぜ三浦家の財宝とともに信州の地まで運ばれてきたのか、なぜこの物語は封印されたまま眠っていたのか、いまとなってはそれらの謎に光りをあてる手がかりがない。この物語の作者として、円空という名がたしかに記されているが、この人物がいかなる人物か、彼に関する歴史資料もまた絶無である。しかし作家というものは、その人生を作品のなかに織り込んでいくものであり、作家の人生がその作品に色濃く反映されていくものである。とすると、この長大な物語を子細に検討していくと、ほのかに歴史の闇のなかから、その人物の像が浮かび出てくるのかもしれない。 頼朝が鎌倉に幕府を打ち立てたとき、頼朝は多くの人材を京都から招聘したり引き抜いてきたりした。政所別当として、鎌倉幕府の骨格をつくった大江広元も、また公文所の長官として法律の整備をしていった中原親能(ちかよし)も、朝廷の官僚であった。役人たちだけではない。僧侶も、武者も、神官も、大工も、職人も、農夫も、商人も、勃興していく鎌倉へと流れていったのだ。この円空なる人物もまた、京から鎌倉に下ってきたのではないのだろうか。さらに推測と想像をめぐらすのだが、この円空は貴族の出ではないのだろうか。それというのも、この物語に描きこまれた生々しいばかりの貴族の像は、自身の生活体験がその背後になければ、とうてい描き上げることができないと思えるのだ。 作者は円空と名乗っている。ということは、あの西行がそうであったように、なにか貴族生活を破綻させるような事件に遭遇したのだろうか。あるいは剃髪しなければならぬ、深刻な煩悶に襲われたのかもしれない。ともあれ彼はなんらかの理由で、貴族生活を捨てた。そして諸国の寺院を遍歴しながら、鎌倉へ鎌倉と足を運んだのかもしれない。あるいはまた、当時洛南に立つ園城寺は、貴族出自の僧侶たちがごろごろしていた。彼もまた園城寺の僧堂で修行を積んでいるとき、その力量を買われて鎌倉幕府から招かれたのかもしれない。 どのような道を通ったにせよ、円空は鎌倉の空の下に立つのだ。深い教養と識見をもつ円空は、無骨でむしろ粗野な鎌倉の後家人たちのなかで、精神の師、あるいは魂の教導者としての役割を担ったのかもしれない。彼のために寺院を建造するという後家人があらわれても不思議ではない。その後家人の一人が、三浦家ではなかったのだろうか。当時三浦家は、北条一族につぐ一大豪族であった。 勃興する鎌倉に居を構えた円空に、むくむくと湧き立ってくるものがあった。彼の教養は、貴族文化のなかで育てられたものだったが、しかし彼のなかに、貴族社会と貴族文化にたいする、激しい嫌悪があったように思われるのだ。自身のなかに流れる、貴族の血と、貴族文化を消し去るにはどうしたらいいのか。道はたった一つしかない。まったく新しい人生と、新しい文化を自身の手によって打ち立てる以外には。 それはちょうど、運慶が直面していた精神の危機でもあった。運慶の父、康慶(こうけい)は奈良仏師の一大権威であった。とうとうと流れてきたその伝統は、父の代に一つの頂点を迎えていたのだ。慶派(こうは)が彫り込む仏像は、どこまでも優雅華麗であり、その流れる線はまるで女性の肉体のようであり、かすかに微笑む面貌は、気品と平安と慈愛の輝きでまぶしい。しかし運慶はそれらの像を嫌悪したのだ。人生は苦しみに満ちたものであり、絶望に打ちのめされるものである。この生々しい人間の苦悩が、それらの像には、どこにも彫りこまれていないではないか。 ではどうしたらいいのか。どのような像を彫り込んでいけばいいのか。若き運慶にはそれがわからなかった。悶々と苦しむそんな運慶に頼朝から誘いがかかるのだ。運慶は鎌倉に渡った。あらゆるものが力強く勃興していく。貴族政治や貴族文化を断ち切って、新世界が誕生していく。運慶はこの鎌倉で開眼したのだ。女性的な曲線ではなく、むき出しの直線で、優雅華麗ではなく、荒々しいばかりの面貌で、生命力をもった彫刻群を次々に彫りこんでいったのは、彼が鎌倉と出会ったからだった。 円空の内部にも、また運慶とまったく同じ精神の律動が起こったのではないのだろうか。彼はもともと文芸の人であった。その文芸の人としての彼の創造力が、荒々しく勃興していく鎌倉に激しくかきたてられた。そして退廃の貴族文化を打ち倒し、新しい文芸の波をつくりださんと、その素材にしたのが「竹取物語」だったのではないのだろうか。「竹取物語」は、近代の数々の物語を鑑賞した者にとっては、実に陳腐である。物語としても未成熟ならば、その底に流れている精神は貧弱であり、なにやら貴族文化の退廃と腐敗がにおってくるばかりだ。そのことをすでに、この鎌倉時代の作者は嗅ぎ取り、徹底的に批判することによって、彼の「新編竹取物語」は書かれていったのではないのだろうか。彼は貴族たちをこの物語のなかで、それはすさまじいばかりに自爆させている。それはあたかも貴族文化や貴族政治の終焉のほら貝を高らかに吹き鳴らしたのかと思われるばかりだ。 事実、貴族政治は、武士たちによってピリオドを打たれた。それならば円空は、貴族政治にピリオドを打った武士たちを、その物語に鮮やかに登場させるべきであった。しかし彼はそうしなかった。実に驚くべきことだが、円空は、時代の苦悩を背負う者として、時代を切り開く者として、貧しき村の貧しき樵を登場させるのだ。かぐや姫の恋の相手になるのは、帝でもなければ、貴族や武士でもなかった。社会を変革していく主体として、杣(そま)を業とする若者を登場させ、その樵とかぐや姫の悲恋の物語にすることによって、円空は新しい時代を切り開く文芸の波をつくりだそうとした。もしそうであるならば、はるか鎌倉の時代に、すでに円空は、人間は平等であるという今日の思想を、すでに先取りしていたということになる。 円空はこの物語を書き上げた直後に、忽然と世を去った。三浦家は彼の逝去を悲しみ、盛大な葬儀で送り出した。そのとき彼の書院の卓の上にのっていたこの長大な物語を、三浦家は家宝として蔵深くにしまい込んでしまったのではないのだろうか。もし他者にこの物語が渡っていたならば、かならず世に伝播していったはずだが、歴史はその存在を無視したままだったところをみると、この推測は十分に成り立つ。そしてあの宝治合戦で、三浦家が歴史から消え去る直前に、三浦家を再興させるための家宝として信州の地に運び込まれると、そのまま八百年の長きに眠りについていたと推測と想像の翼をはためかせるのだが、果たして事実はどうであったのだろうか。歴史の闇をどんなに見事に推測しても、的中する確率といったら宝くじを当てるようなものであろうが、しかしその謎が深ければ深いほど、人は懸命に想像の翼を飛翔するものである。 ともあれこの驚愕すべき「新編竹取物語」は間もなく私たちの手に渡る。その全編を朗々と朗誦したらゆうに五時間を越えるだろう。皇子たちは、海を、陸をかけめぐり、かぐや姫は月に帰っていく。まさに宇宙的規模をもった壮大な史劇である。どんなに深く土中に埋もれていようとも、すぐれた玉は自ずから光を放っていくのであり、眠りから覚めたこの史劇もまた自らの力でかならず世に広がり渡っていくだろう。
ゲルニカ事件を「どちらが本当の教育か」という一冊の本にして刊行した原田奈翁雄さんはその本の前書きに痛切なメッセージを刻みこんでいる。「この本を、日本の子供たちに手渡したい。いい成績を、いい学校へと、家で、また学校で追い立てられる子供たちに。校則や先生たちの監視にしばられて、身をすくめて生きる子どもたちに。いじめ、いじめられて、いずれにしろ学校に行ってもちっとも楽しくない子供たちに。学校とは、勉強とは、ほんとうはこんなに楽しく、やりがいのあるもんなんだということをぜひ知ってほしい。この本に登場する小学校六年二組の子供たちはこんなにも燃えた。こんなに頑張った。こんなにいろいろ体験し創造した。この本を日本のすべての大人たちに手渡したい。子供たちが学校で友達と出会い、一緒に悩み、一緒に考え、一緒にぶつかり、それぞれに学びあって成長していくとはどういうことかをその具体的な様子をこの本から見てとってほしい。無気力に生き、いじめ、いじめられていた子供たちが、実は大人たちによって追い込まれているのだということがよくわかる」草の葉ライブラリー版「ゲルニカの旗、南の海の島」は原田さんにささげられている。
「草の葉クラブ」が扉をたたいたのが「CAMPFIRE」だが、そのホームページを訪れると、最初のページに、「Mission」「Vision」「Value」が書かれている。その全文をこの冊子に植樹しよう。言葉がきらきらと光っている。それはこの会社の存在がきらきらと光っているからだろう。Mission 資金集めを民主化し、世界中の誰しもが声をあげられる世の中をつくる。Democratize financing, and make it easier for anyone anywhere to make their voice heard.インターネットが普及したからこそ出来るようになったこと、を私たちはよく考えます。 それは、誰しもが、例え小さくても、声をあげられるようになった、ということではないでしょうか。 今まで一部の人たちや組織が独占していたりして手が届かなかったものが、インターネットによって一般の私たちにも気軽に使えたり参入できるようになりました。クラウドファンディングは資金集めを民主化した仕組みだと私たちは考えます。 「小さな火を灯しつづける」を合言葉に、私たちは誰でも声をあげられる世界を創っていきます。Vision 優しい革命をおこすStart a Gentle Revolution. 「この国にはなんでもある。だけど希望だけが無い。」 村上龍「希望の国のエクソダス」で主人公がつぶやくこの言葉が、いまの日本を表している気がします。高度経済成長・近代化を遂げ、私たちは豊かになりました。 しかし、一方で行き詰まりを感じることも増えてきたのではないでしょうか。 少子高齢化、不景気、震災、心の問題、働き方。様々な問題が次から次へと噴出しています。 成熟した日本、ポスト資本主義をどう生きるのか。いま私たちは問われているのではないでしょうか。 ポスト資本主義の生き方。それは「あらゆるものを個人の手に取り戻す」ということなのではないか。 インターネットとはあらゆる権威を解体し民主化するものだと私たちは考えます。私たちはインターネットを通じて、革命を起こし、あらゆるものを個人の手の元に取り戻します。既存の仕組みを破壊するのではなく「アップデート」する。血の流れない革命、それを私たちは「優しい革命」と名付け、Visionとして掲げています。Value CAMPFIREではミッションを達成すべく十のバリューを設定しています。これらはCAMPFIREのコアな価値基準であり、四半期ごとに行われる評価面談やフィードバックや採用時にも常に確認されます。1 インターネットがあらゆる権威を解体するものである以上、僕らもまた権威主義、大企業病に陥いらないように気をつけよう。大企業病になることが最大のリスクである。2 傍観者であってはならない、常に自分の頭で考え、他者や社会のために自分に何ができるのかを考え続けよう。give&takeではなくgive&give&giveの精神でいよう。パスを回すものにこそ、パスは回ってくる。3 小さな火を大事にしよう。クリエイターやプロジェクトオーナーへ愛や敬意を持って接しよう。神は細部に宿る。細部まで丁寧な仕事をしよう。4 人に優しくあろう。痛みを知っているからこそ、失敗を過去にしたからこそ、他者に優しくできる。5 どんどん失敗しよう。失敗を恐れると、「何もしないこと」が正解になってしまう。大胆にチャレンジし、数多くの失敗から学んでいこう。個人も、チームも、組織も、常に変わり続けよう。停滞は後退だ。6 相手を信頼して任せよう。信頼とは、疑うことではなく、任せるところから始まる。信頼するとは、見返りを求めず、相手の失敗をも引き受けるという態度である。7 言葉を大事にしよう。言葉は態度となり、態度は必ず相手へと伝わる。常に謙虚な気持ちを忘れず、軽薄な言葉や、誰かを貶める発言に気をつけよう。8 安易に答えを出すのではなく、常に問い続けよう。学びを怠らず、 慢心せず、謙虚な気持ちでいよう。正解なんて無い。この世は課題だらけだ。9 チームで最高のプロダクト・サービスをつくろう。チームとしてどのような成果をあげているか、そこに個人としてどのように貢献できているか。オーナーシップを持って、執着心と責任感を持ち、プロとしてベストを尽くそう。10 インパクトのあるイノベーションを生み出し、批判を恐れず、世の中をざわつかせよう。ざわつきとは熱量だ。炎上を恐れない。常にポジティブ、自由主義、楽観主義でいよう。はげしいいじめによる引きこもりが、ぼくの原点だった 家入一真CAMPEIREの創業者、家入一真(いえいり かずま)さんは中学のときにはげしいいじめにあって学校にいけなくなる。しかしそれはたんなる引きこもりではなく、新聞配達をして自己を保っていたようだ。そして芸大を目指して、毎日油絵を描いていたが、それも父親が再起不能の交通事故にあい、長男だった彼は一家を背負って就職する。しかしその就職も、やがて会社にいけなくなり、ふたたび引きこもりの状態になる。そんな試練を背負って立ち上げたCAMPEIREは「優しい革命」をめざしている。しかしその優しさとは厳しい試練に立ち向かってきた優しさで、革命は優しさだけでは生まれないことを彼はまたその会社に厳しく縫い込んでいる。 ──ぼく自身は、中二でほぼ学校にいけなくなって、いじめとかがきっかけになっているんですけれど、そうやって家にこもっている間は、もともと絵を描くのが好きだったので、油絵を好きなままにかいていたりしていて、途中からちゃんともっと絵を学びたいっていう気持ちが芽生えてきて、ちゃんと芸大とかに入って、絵を学びたいっていうことで、新聞配達をしながら、朝配って一日中絵をかいてまた夕方になったら、新聞配達をして、合格できたらいいなあと思っていたんですが、ある日、父親が突然、軽自動車で配達をやってたんですけど、その運送の途中で事故ってしまって、もう働けない身体になってしまって、ぼく長男だったので、妹と弟がいたんですけど、お前が働かんともう生活できないということになって、急遽、そういう絵をかくみたいなものをあきらめざるをえなくなったんです。──なんとか絵をかいたりしていたこともあったので、福岡の片田舎だったんですけど、デザインの制作、さらに下請け会社みたいなところに入ることができて、そこで働きはじめたんですけど、ずっと引きこもって、まあ新聞配達はしてたものの、ほぼ引きこもりと絵をかくことしかしてこなかった人間なので、いきなり会社に入って、朝定時で出社して、打ち合わせとか、他者との交渉とか、もう本当に苦痛でしょうがなくて、やがて、時間通りにいくってことができなくなって、結局、また中学生のときの引きこもりのときと同じような状況になっちゃったんですよね。なんかもうぼくは、どこかで就職して働くってことが、本当にできないんだなっていうことを深く実感したと同時に、とはいえ生きていかなきゃいけない、じゃあ、人に会わずにできる仕事をなんかつくりだそうと思ったときに、レンタルサーバーだと思ったんですよ。──とにかくぼくみたいな稼ぐことができないような人間だったり、あとは学生とかですよね、学生とかが、自分の描いた絵とか、作った音楽とか、日記とか、そういったものをもっと気軽にアップロードできるような時代にならないといけないと思っていて、まあ、いつかはなるんだろうけど、まだまだハードルが高いなと思っていたので、格安のレンタルサーバーを作ろうと思って作ったのが「ロリポップ」っていう一番最初のサービス、「ペーパーボーイス」っていう会社なんです、でも当時は、本当に起業したくて起業したわけじゃなくて、どちらかというすごく後ろむきで、やらざるを得なかったみたいな、生きる手段みたいな感じの起業でしたね、二四歳の後半とかです。──人間ってだれしも一冊の小説になる分の人生は歩んでいるんだと思うんですけど、そのなかで、じゃあ自分は今何ページぐらいなんだろうなって考えますね、でもまあ例えば、年齢イコールページ数でもいいや、ぼくはいま三九ページまできているわけですけれど、今まで三九ページ分の小説っていうストーリーがあるわけですよね、それでいま福岡で生れて、中学校でいじめにあって引きこもって、その後起業してみたいな、でも失敗してみたいな、それがずっとストーリーとして、こう三九ページあって、じゃあその次の一ページはどう描こうか、さらに次のページはどう描こうか、その積み重ねだと思うんですよね、いきなり大きな事をしようとしたり、いきなり大きな夢をえがいてしまうと、やっぱり最初の一歩が踏み出せないで、そのまま日々がすぎていってしまうことって往々にしてあるじゃないですか。──その時、大きな事とか、大きな夢とかじゃなくて、顔が思い浮かぶ身近なだれかを喜ばせるといったところから、小さな一歩ってはじめると思っていて、で、その先に同じような喜ばせたいと思う人が抱えている課題と、同じように課題をかかえた人が、もしかしたら日本中にいるかもしれないし、世界中にいるかもしれない、でもそれって最初の一歩からはじまるんですよね、きっと。なので、まずは最初の一歩を踏み出してくださいっていう単純な言葉で落ちていくんですけど、いつもなにをやっていいかわかんないとか、それで立ち止まっている子には、このアドバイスをするようにしていますね。