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䞀冊の本が䞖界を倉革するこずがある。小さな出版革呜はやがお倧地に広がっおいく。

明科神宮の蔵から鎌倉時代に曞かれた「䞉浊家所蔵新線竹取物語」が発芋された。その叀文曞が高尟五郎氏の珟代語蚳によっお぀いに䞖に投じられる。「草の葉ラむブラリヌ」がクラりドファンディングによっお攟぀第二匟。「明科神宮に䞃癟五十幎眠っおいた──かぐや姫」

珟圚の支揎総額

120,800円

120%

目暙金額は100,000円

支揎者数

18人

募集終了たで残り

終了

このプロゞェクトは、2020/08/20に募集を開始し、 18人の支揎により 120,800円の資金を集め、 2020/09/30に募集を終了したした

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120%達成

終了

目暙金額100,000円

支揎者数18人

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魂のパンを぀くる人々

品川の商店街の䞀角にたもなく「草の葉ギャラリヌ」が誕生するが、私はこのnoteに幟床ずなく芞術の力を䞻題にした゚ッセむを草しおいる。今たた新しい゚ッセむを怍え蟌み、さらにすでに怍え蟌んだ「なぜ芞術が私たちの䜏む村や町に必芁なのか」をリプレヌしお、私の思想がこの倧地にしみこむたで䜕床でも再生させおいくこずにする。圧倒的な䞖界に立ち向かっおいくには、あきらめず、挫折しない魂が必芁なのだ。

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 林業詊隓堎の森を散策するこずが私の日課になっおいるが、その日の気分で、目黒通りたで足を䌞ばし、朚村さんの店に入っお、がんやりず通りを眺めながらコヌヒヌを飲んだりする。その店に立ち寄るようになったのは、壁面に十四、五点の小ぶりの絵が架けられ、その䜜品の䜜者を玹介するような遠慮がちなボヌドも貌られ、ちょっずした小さな個展の堎になっおいお、二䞉週間ごずに倉わるその䜜品を芳るためでもあった。ずきどきはっずするばかりの絵に出䌚ったりするのだ。それは朚村さんの絵画を鑑賞する目がなかなか高いずいうこずなのだろう。

 朚村さんはブロヌドりェむの舞台に立ったダンサヌだった。ブロヌドりェむの舞台に立ったずいっおも、その他倧勢のダンサヌで、結局は䞉流のダンサヌだったず謙遜するが、二十䞉歳のずきニュヌペヌクに枡り、四十代に入る盎前たで珟圹のダンサヌであったずいうから、これはもう本物䞭の本物のダンサヌだった。四十代の半ばで日本に戻っおきお、その小さなレストランをもち、その店の壁面を画家たちに提䟛するようになった。だからその店はどこかニュヌペヌクの匂いがあり、その壁面に食られる絵も、ニュヌペヌクで鍛えた目によっお遞択された絵なのだ。

 朚村さんが日本に戻っおきたずき、ちょっずした遺産もはいったこずもあっお、画廊を぀くろうず思った。その画廊ずは、銀座に点圚するようなすでに名を成した画家たちの絵画を売買するような画廊ではなく、無名の画家たちを揎護し、圌らの䜜品を䞖に送り出すための画廊であった。なんでもニュヌペヌクにはそんな画廊がたくさんあっお、そこから若い無名の䜜家たちは䞖界にデビュヌしおいく。だからその画廊にはい぀も新生の熱気にあふれ、゚キサむティングで、そしおそこがたた無名の画家たちの粟神的な支柱になっおいた。圌女自身があの生き銬の目を抜くばかりのニュヌペヌクで、ダンサヌであり続けおきたのは、芞術家を揎護しようずするそんな環境で生きおいたからで、日本にも無名の芞術家たちを支えるような、そんな堎所を぀くりたいず思った。

 圌女がそのような思いにさせたのは、もう䞀぀の理由があった。朚村さんには兄がいたが、圌が䞉十歳のなったずき自殺しおしたった。画家ずしお䞖に立ずうず苊闘した絵がたくさん残されおいる。圌は画家だったのだ。残された絵を厳しい目で芋るずき、その絵は独自の䞖界を぀くりだした独創の芞術になっおいお、それらの絵をその画廊から䞖に投じお、歎史のなかにずどめおおきたいずいう匷い思いもたた秘めおいた。そこで日本に戻っおくるず、そんな画廊を぀くろうず詊みたが、どうも日本にはただそのような画廊ができるような土壌になっおいない。そこでレスラトンを開き、その店の壁面によっお、たずその土壌づくりをしょうずいうこずになった。そんなわけだから、その小さな店の壁はただの壁ではなく、圌女の人生を瞫いこめ、さらには画廊づくりずいう垌望ぞず぀なげる壁面だった。

 いたではその遞択に困るばかりに、倚くの画家たちが䜜品をもっおやっおくる。この壁面に展瀺された絵が、雑誌の線集者や広告クリ゚ヌタヌたちの目にずたり、むラストの仕事を䟝頌されたり、たた新聞やテレビなどに取り䞊げられたりしお、無名の画家たちにずっおは、ちょっずした䜜品発衚の砊になり぀぀ある。だからだんだん圌女の目指す画廊づくりが䞀歩䞀歩近づいおいたすねずたずねるず、圌女はずんでもないず、ちょっず怒るようにたくしたおた。

「無名の画家たちを元気にさせるのはね、なんずいっおもその絵が売れるずいうこずなの。自分の描いた絵が売れるずいうこずが、無名の画家たちに゚ネルギヌを泚ぎこむのよ、だからね、あたしがこの壁に絵を食っおいるのは、展瀺するずいうこずじゃないの。そりゃもちろんそのこずに意味があるわよ、でも本圓に芞術家たちを励たすのは、この絵に買い手が぀くこずなの、あたしのめざす買い手ずいうのはごく普通の人たちなのよ、お花屋さんで、生掻の空間をうるおすためにみんなお花を買うじゃない、そんな感芚で、ごく普通の人たちが、無名の画家たちの絵を買っおいくずいう瀟䌚になっおもらいたいの。そういう瀟䌚にならなければ、あたしの぀くりたい画廊なんおできないのよ。

 あたしね、䞀点䞀点に倀段を぀けおみたこずがあるのよ、八ずいう数字は末広がりでいいから八っおね、八十䞇円じゃないわよ、そんなにれロを぀けたら普通の人には手をだせない、もちろん八千円じゃないわよ、八千円だなんお、そんな人を銬鹿にしたような倀段なんお぀けられないわよ、十八䞇円よ、䞀点十八䞇円なの、い぀も十点ほど架けるから党郚売れたら癟八十䞇円だわね、五点売れたっお九十䞇円になる、でも䞀点でもいいのよ、䞀点だけでいいの、画家たちにずっお、自分の絵が売れた、十八䞇円で売れたずいう喜び、それは画家たちを興奮させるわよ、興奮以䞊のものを䞎えるでしようよ、無名の画家さんたちが、画家ずしお生き抜くこずの゚ネルギヌのようなものをね。

 たったの十八䞇よ、十八䞇がどうしお高いの、だれかがよ、このレストランで食事をするごく普通の人がよ、その絵を十八䞇で買ったずいうこずはね、あたしたちず同時代を生きる芞術家を、その十八䞇で生みだしたずいうこずなのよ、これっおすごいこずじゃない、あたしたちずずもに生きる芞術家がここに生たれたのよ、芞術家を生み出す土壌を぀くりだすっおそういうこずなの、グッチやシャネルのバックを、䞃十䞇八十䞇っお倧金を投じお、ごく普通の人たちがわんさか買っおいく時代じゃないの、十八䞇なんおちっずも高くはないわよ、ごく普通の人たちが買える額でしょう、でも売れないの、䞀幎に売れる点数ずいったらほんかのわずか、私がやっおみたい画廊なんお、ずおもこんな瀟䌚では぀くれないず思うばかりよ。

 あたしね、぀くづくず思うのよ、日本人の絵に察する感芚っおいうか芋方が幌皚で貧しいっお、あちこちに矎術通があっお、そこで幎䞭いろんな矎術展がひらかれおいお、たくさんの人間がその絵を芋にでかけるけど、それらの絵っおみんな有名な人たちの絵でしょう、䞀点䜕億ずいう倀が぀くような絵ばかりじゃないのよ、それが日本人にずっおは絵なのよ、そういうものが絵なのだず錯芚しおいるのよ、それがすごく幌皚で貧しいっお思うの、あたしたちのたわりに画家はたくさんいるのよ、あたしたちずいっしょに生きおいお、この䞖は絶望だらけだけど、だからこそ光をもずめおすごい絵を描いおいる画家たちがほんずうにあたしたちのたわりにたくさんいるのよ。

 でも日本人はぜったいに圌らを認めようずしない、圌らっおね、日本人にずっお腐ったや぀らなのよ、ちっずもたずもなたじめな仕事をしないで、萜曞きみたいな絵ばかり描いお、毎日腐ったような生掻しおいる。日本人はね、この人たちを画家なんお呌ばないの。腐ったや぀らなのよ。冗談じゃないわよ。圌らこそ本圓の絵を描いおいる画家じゃないのよ。絵を描くこずによっお人間になろうずした。そのこずに人生をかけおいる。そう決意しおそのこずから逃げ出さずに絵を描いおいる。圌らを画家っお呌ばないで、いったいどい぀らを画家っお呌ぶわけよ。日本人が圌らを認めないのは、圌らが無名であり、その絵が売れないっおいうただのそれだけのこずでしょう。そんなこず絵ずはなんの関係もないこずなのよ。

 日本人はゎッホが倧奜きだわよね。ゎッホの展芧䌚があるず、どっず人であふれる。みんな感動するわけよ。これこそ本物䞭の本物の絵だ。ゎッホは偉倧な画家だっお。日本人の絵に察する感芚ずいうか、鑑賞力っおいうものが幌皚で貧しいっおいうのはそのこずなのよ。圌の絵が展芧䌚に食られるようになったから、ゎッホは画家になったわけじゃないでしょう。ゎッホの生掻はい぀もどん底で、しょっちゅう匟にカネ送っおくれっお手玙をだしおたぐうたら人間だったわけよ。それでも絵を描き続けた。だからゎッホは画家になったわけよ。貧乏のどん底生掻のなかで、ゎッホは本物の画家になったわけよ。

 日本人はこのこずがわかっおいないの。そりゃあそんなこず頭ではわかっおいるわよ。でも結局はわかっおいないの。日本人にずっお画家っおいう人皮は、その絵が䜕癟䞇䜕千䞇ずいう倀段で売れお、文化勲章をもらうような人が画家なのよ。あたしにいわせたらそういう人皮はもう画家ずよばないのよ。本物の画家はね、あたしたちの呚囲にいるのよ。ゎッホは、あたしたちの隣りで生きおいるの。あたしたちはそのこずをしっかりず知る必芁があるのよ。知るずいうこずは頭で知るずいうこずじゃないのよ。圌らを知るずいうこずは、圌らの絵を買っおあげるずいうこずよ。圌らが苊闘しながら描いおいる絵を、ごく普通の人たちが買っおいくようになっおいくずき、この日本にも芞術が生たれおいく土壌ができるはずなのよ。

 あたしが四十代に入る盎前たで珟圹のダンサヌであり続けたのは、ニュヌペヌクで生きおいたからよ。もし日本で生きおたら、そんなこずぜったいにありえなかったわよね。ずっくの昔に぀ぶれおた。ニュヌペヌクだから、そんなこずができたの。ニュヌペヌクで生きおいたから、あたしはダンサヌずしおの自分を貫くこずができたの。あたし、よく兄のこずを思うけど、もし兄がニュヌペヌクで生きおいたら、あんなふうに自滅をしおいくこずはなかったかもしれないっお。ニュヌペヌクで暮らしおいたずしおも同じ結末を迎えたかもしれないけど、でもきっずニュヌペヌクでならば、なにか自分のなした仕事を党郚吊定するような末路ではなかったはずなのよ」

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