2017/08/03 19:04
自分以外の全てに時間は平等に流れているもので、私のいない合宿キャンプでは、順調にパエリャパーティーの準備が進んでいた。

車にゴロゴロとオレンジの薪を積んでミゲールさんが到着。ついで大きなプリンを焼いてきたハルコさんも到着した。


初めて見るオレンジの薪。形は不揃いで繊維が複雑に絡まっているようだった。
挨拶をしながら薪を積み直しいよいよパエリャ作りにとりかかる。

丸鳥に包丁を入れ、一羽目の解体を終えると、ミゲール先生のストップがかかった。
「ゆーき。ちょっと見ていてくれ。」
2羽目はミゲール先生がさばく。カッティングがこれまでやってきた方法と違うのである。
本場のパエリャの肉のカットを目の当たりに、疑問は次々と消え新しい技術にワクワクしていった。
2羽の鶏は綺麗に解体され、次はうさぎの解体に入る。ここでは私も最初から、ミゲール先生に指揮をお願いした。当時の私のうさぎのカッティングは疑問も多くずっと困惑していたからだ。ミゲール先生は、これまた慣れた手つきで「ここが美味しいよ」と切り進んでいく。このカッティングは素晴らしく、パエリャを食べる事を計算した素晴らしい作業だった。

肉の作業のかたわらでは、まゆとハルコさんが、スペインのインゲン豆「ガラフォン」のカットやニンニクのカットをしていた。
タカシは、薪に火を起こし、それぞれがお喋りしながら作業は進んでいく。
大会は、2時間30分という制限時間に完成させなくてはいけないが、今日は少し余裕を持っておこなうことにした。

ミゲール先生の指揮のもと、パエリャ鍋に皆んなの思いが寄せられてくる。


オイルの量、肉の焼き加減、ニンニクやトマトの量も、ミゲール先生の感覚。
周りの皆んなは、作業の確認をミゲール先生に告げる。
その様は、怖く厳しいものではなく、楽しげに進んでいくのである。
薪をくめながら、パエリャ鍋の中は進んでいくので、やはりサポートは大切。
ハルコさんとミゲール先生のコンビネーションは流石の流石で、サポートにはサポートの腕前があることを学ぶ訳である。

さてさて、この「パエリャバレンシアーナ」。ミゲール先生の先生は、ミゲールさんのお父さん。そして、ミゲールさんのサポートのモデルはミゲールさんのお母さん。つまり、このミゲール先生のパエリャは味だけでなく、「パエリャを作る空気感」も代々伝わってきた、伝承ということなのだ。


日本においては、正月のおせち料理なんかが似ている。
各々、家庭の味があり、お母さんからお嫁さんに伝承する。その裏側では大掃除したり、蕎麦打ったりの主人。
大晦日の過ごし方や、元旦の過ごし方は、到底変わらない。
こちらも、おせちの味だけでなく、「正月を過ごす空気感」が伝承されていると思うのである。

 

話は、バレンシアに戻ると、このパエリャは各々の家庭で月に一度。はたまた、週に一度行う家族のコミュニケーションツールとなっているということ。
父から息子に、時間をかけて伝わっていくレシピや技法。母のサポートなくしてはパエリャは完成せず。この空気感んも時間をかけ染み込んでいく。いつしか、息子が8割がたの作業をやってのけパエリャを囲む。
その頃には、サポートも息子の彼女だったり、パートナーだったり。交じり合いながら、パエリャを通じて家族のコミュニケーションが折り重なっていくのである。
このコミュニティーが沢山あって。それぞれ存在を続けている。
もちろん、「今週は自分の家のパエリャだよ。」や「来週はアントニオの家のパエリャだよ。」となるのだが、味や雰囲気の否定はしない。各々のアイデンティティーを尊重できているのだ。
そして、「自分のパエリャを大切」にし続けていく。

パエリャは料理であり、哲学で、生き続けるスピリチュアルな世界なのだ。

 

現場に戻ると、ミゲール先生の息子や娘。そのお友達のカップルや近所のファミリーも合流した。
ミゲール先生もビールを片手に汗だく。スープを味見し、息子と打ち合わせ。
味の伝承の作業である。
息子の意見のもと、ミゲール先生が最終決定。いよいよ米の投入である。
周りのオーディエンスもパエリャ鍋の周りに集まって、米が入る。
ちょっとした拍手とともに、それぞれの居場所に戻っていく。
やはり、神秘的な作業なのだなあと。嬉しく思えて。ニヤニヤとしてしまう私。

数分がたち、美味しいスープを吸ったお米が見えてくる。
ミゲール先生とミゲールJr.の息もピッタリ。
お米を平らに美味しそうに鍋をコントロールする。
最後は、「おこげ」の作業。
静かに耳を傾け、お米の声をきく。
「ぱちっ」「ぱちっぱ」「ぱっぱぱちっ」
ミゲールJr.が完成のサインを出し。ミゲール先生が、火から鍋を外した。

ミゲール家の伝統の「パエリャバレンシアーナ」の完成である。

少し、東京で忘れてしまった、代々伝わる家族の伝承。
そんな難しいことではなくて、家族の約束?家族のヒミツ?家族のあ・うん?ってヤツでしょうか。
私も、父から教わったこと。母から教わったこと。はたまた、祖父や・祖母から教わったこと。たくさんあるけど。このパエリャみたいなストーリーは持っていない。
持っていないのに何故か懐かしく、憧れてしまう。
さらに、2016 パエリャ世界チャンピオンのチームは親子でバルを営んでいるお店でした。

本場のパエリャパーティーには、騒がしい宴会でもなく、ストレス発散の寄り合いでもなく、
パエリャを通じて、家族や仲間とコミュニケーションをとり、互いを尊重していく学び場であり、伝承のセクションであったりで。想像以上の収穫となったのです。

パエリャは、道具であり、食べ物であり、習慣であり、儀式であるということ。
縦と横の時間をパエリャが編み、人と食物をもパエリャが結ぶ。
パエリャは奥が深いのである。