『フリースクールネモ』代表の前北海さんとは、弊団体の多様な学びプロジェクト(https://www.tayounamanabi.com/)の『とまり木マップ』(https://www.tayounamanabi.com/spot)「とまり木」さんでもあり、『とまり木オンラインサロン』(https://peraichi.com/landing_pages/view/tomarigi-online)のオンライン講座の講師としても、6月に登壇してもらったご縁です。前北さんは元不登校当事者。中学2年生の頃から学校に行かなくなったそうです。 それから紆余曲折あり、19歳の頃に1度別のNPOをつくり、 25歳の時に「不登校当時の自分が行きたいと思う」フリースクールをつくったそうです。それが、『フリースクールネモ』でした。私は実際に訪れたことはありませんが、 バーカウンターがあったり、小学生が多くて異年齢の幅が広かったり、居心地が良さそうだなぁという印象です。前北さんはじめ、子どもの気持ちをしっかり受けとめてくれる若い「お兄ちゃん」達3人がスタッフなのも、保護者がもっていない魅力だと思います。「家庭と学校の間の、より家庭寄りな場所をつくった」と、講座の中でも語られていました。前北さんの話の中で私が一番心に残っているのは、 「不登校の子にとって親はバンジージャンプの綱なんです」という話です。「親がちゃんと子どもを信じる綱になっていれば、 子どもは高くて怖い場所からも飛べるんです。 だから『将来はどうするの?』『学校は?』『いつ働くの?』と親の不安を押しつけて綱を切らないで、心の綱を太くしてあげてください。それが、いざ子どもの飛ぶときの安心の綱になるから」、という話でした。この話は、私が周りの人たちから「子どもたちが全員不登校で、それでいいと思ってるの?」「学校に戻るように親がもっと努力しないと」と言われるたびに、思い出す、「お守り」のような言葉でもあります。 そんな『お守り言葉』を 元子どもの目線からそっと渡してくれる人なので、 『フリースクールネモ』が今度新しくつくるフリースクールも、きっと「安心の場」だと思います。責任者の松島さんも一緒にお仕事をさせていただいたことがありますが、心優しい、真面目な方です。 そしてだからこそ、前北さんとネモのスタッフがつくる新しいフリースクールも、 そこに通う子どもたちや親にとって「バンジージャンプの綱」になってくれるはずです。応援しております。多様な学びプロジェクト代表 生駒知里
ネモに入会して2ヶ月が経ちました。息子の日常は、がらりの変わりました。 最近の印象に残った言葉 「ネモに来てから、毎日が楽しいな〜♪」と、ニコニコしながら話してきました。 不登校になったのは小3。それから2年間、毎日が辛くて、暴れてしまい、泣いて。誰かと遊びたい…でも学校は辛い。無理だ。と、苦しんでいました。 それが今では信じられないくらい、生き生きしてネモに通っています。 ネモのスタッフさん達は経験豊かで勉強熱心です。息子の話したこと、出来たことを細かくひろって会話につなげてくれます。 ネモでは、1人では経験出来ない事がやれます。少人数の集団行動。外へおでかけ。合宿など。 親が与えてあげられない経験をさせられます。 静かに過ごしたい時は、それも選べますし。数人で力合わせ作業することも可能です。その時の子供の気持ちに寄り添い、耳を傾けてくれます。ネモは、そんな場所です。 息子にとって、安心するお気に入りの居場所です。ぜひ、気軽に体験に来てほしいです。ネモは10月から新しいフリースクールネモ市川が出来ます。ぜひ、お近くの方は遊びに来てください。そして仲間が増えることを願っています(^^)うみける頑張れ!頑張れうみける! ネモ〜(≧∀≦) ファイト〜おぅ !!
長男が不登校になったのは2018年のちょうど今頃です。お腹が痛いと言って早退したり、体育を1ヶ月以上見学していたことや漢字の宿題を全く提出していなかったことが明るみになった頃でした。 当時の彼は塞ぎ込んでいて顔から生気が感じられませんでした。彼自身の特性もあり、彼は自分らしく生きることを学校から(そして自分たち親たちからも)たくさん否定されてきたんだろうな、と今なら思います。 そんな彼が「学校の他にもフリースクールってあるんでしょ?そこに行きたい」と言い出しました。そして、ちょうど相方の出勤途中にあったのがネモでした。 ネモに通い始めて以降、彼はどんどん生気を取り戻し(冗談みたいな話ですがフリースクール行き始めたら伸び悩んでいた背が急に伸びました)、今では「段ボール工場長」の称号も得て、日々?段ボールハウス作りに勤しんでいます(ちなみに次男もネモのお世話になっていますがそれはまた別の話)。 子どもたちにとって、ネモはリラックスできて、ありのままの自分であることに「イエス」を言ってくれるいわば土壌のような場なのだと思います。そこで子どもたちは息を吹き返しオーガニックに伸び伸びと育っていきます。 ネモのスタッフはほんと優しい。彼らの持ってる力を本当に信じているんだな、と思います。ネモスタッフは不登校当事者としての経験から「どのような場でありたいか」をとことん考え実践し続ける人たちです。だから安心して子どもを預けられます。 そんなネモが今度千葉県市川市にもオープンします。より多くの子どもたちにネモという子どもが自分らしく育つ可能性が開かれたことをとても嬉しく思います。 クラウドファンディング良かったらご協力お願いしますぜ♪
30年以上前、私は中学2年の秋から半年ほど、不登校になりました。その間をフリースクールのような場所で過ごしました。当時「フリースクール」というものは 私の周りにはなく、市の教育施設の1部屋が不登校の子どもに解放されていました。その部屋は20畳くらいあったでしょうか。そこに長テーブルと椅子、マンガや雑誌、本、ボードゲームがありました。ネモ同様に 出席、欠席、遅刻、早退一切自由(来たら出席扱い)。部屋で何をしても良いというスタイルです。当時、そこに通っていたのは 中2の私と年齢の近い4人の女の子。部屋では、付かず離れずの距離で 各々が自由に過ごし、お昼ご飯になるとテーブルをくっつけてお弁当を広げます。そのときに、自宅で好きな音楽を録音したカセットテープを持参し 代わる代わる室内にあるカセットデッキにかけて、皆で聴きながらお弁当を食べるというのが恒例でした。アニメソングを録音してくる子、海外の流行曲を録音してくる子、自分のピアノ演奏を録音してくる子…様々でした。私達4人はキャーキャー騒ぐような関係ではなく、心にキズがある者同士、相手の様子を注意深く観察しながらの静かなものでしたが、私にはとても居心地の良い場所でした。その後、4人全員がその場所から学校に戻りました。数ヶ月のことでしたが、あの場所にいた時間は 私には本当に幸せで、学校に戻って辛くなったときに彼女たちの顔や 過ごした時間が支えになりました。そんな私は、今、不登校児の母親です。中2だった私の、唯一の幸せな場所によく似たネモに子どもは気が向くと通っています。通い始めて1か月ほどして子どもには友達ができました。相手は1まわり以上年上。1まわり以上年上の友達はね、一緒にゲームをしてくれる、ゲームが強いんだ、急に髪をバッサリ切ってきてビックリした…と話して聞かせてくれます。その友達と遊ぶ約束をしたからと、子どもはネモに行きます。行けなくても、友達は怒らず待っていてくれます。10月に市川に新しくネモが、もう1つできます。心が疲れたときに雨宿りをする場所。いつも誰かが待っていてくれる場所。そういうの、いくらあったっていいですよね。
6年前に里親の認定を受け、さまざまな事情により親もとで暮らせない子どもを我が家へ迎え入れ、一緒に暮らしています。 前北さんとは、数年前、習志野市が行う「市民活動フェア(みんまち)」の実行委員会メンバーとして知り合いました。 私はそれまで、市内に不登校の子どものための居場所があるなんて全く知らなかったのです。 彼は、団体紹介の中で自身も以前は不登校だったことがあるとおっしゃっていましたが、そんな風には見えないほど明るく前向きな青年だなぁと、活動内容とともにその行動力に感心していました。 更に居場所を求めている子どもたちのために新しい居場所づくりを始めると知り、この活動を微力ですが応援できたらと支援をさせていただきました。 我が家で生活している里子(親と離れて暮らしている子)もそろそろ思春期を迎えます。今は楽しく学校にも通えていますが、実の親とは暮らせないというハンデを背負いながら一生懸命生きている最中だと思います。 何かの拍子につまづき立ち止まってしまった時、学校や家とは別の居場所があることに安心して子育てをしています。