こんにちは!
テレビのない生活をここ数年続けてると無駄な時間がなくなって良いなあと思ってたら、よくよく考えるとスマホに多大な時間を費やしていることに気がつきました。行動は同じ。
さて、皆様のおかげで支援者数が60人越え、支援金額も50万円を突破していきました。
本当に感謝です。170万円への希望がうっすらと見えてきました。
突然ですが僕は今年で28歳(正確には早生まれなので来年)になるアラサーです。
いわゆるゆとり世代に生まれてきた人間なのです。
失われた20年という1990年代初頭のバブル崩壊後の日本を生きてきました。
今の日本は「夢を語ると笑われる」「人と違うことをすれば叩かれる」「正しいことをしていても揚げ足を取られる」という生きにくさや社会的な閉塞感をとても強く感じます。
家庭によって程度の差はあれど、子どもが「将来は〇〇になりたい!」と言っても「現実を見なさい」「そう言ってられるのも今のうち」という言葉を大人が当たり前のように発する環境になっているのは否めません。
小学生ぐらいまでは「いい夢だね!頑張って!」と言っていても高校生ぐらいになってくると「まだそんなこと言ってるの?勉強していい会社に入るか公務員になりなさい」となるわけで。
子どもの将来の夢に公務員がランキング入りしていることに、心の中で安堵する親も少なくないでしょう。
でもそれって、失われた20年を当たり前のように生きてきたゆとり世代がもう立派な親になっていて親の価値観は社会は厳しい、安定しないと生きていけない、夢より金、それが定着しています。
バブル世代に公務員になりたい!という人は変わった人だなあと思われていたそうですが。(結局そこには民間のが給料が良いから、、、金ですが)
そんな中で、社会の発展とネット環境の豊かさ、新型コロナウイルスの影響などもあり「社会や金に振り回されず自分らしく生きる」という人も増えてきました。
フリーランスで働く人、副業で生き生きと働く人、社会とは敬遠し気ままに生きたい。自分の力でコツコツと食えるだけ稼いで贅沢はしなくて良い。そんな価値観も生まれてきました。
クラウドソーシング等でパソコン1台あれば場所を選ばず働くことが可能になり、そっちで生活費の基盤を稼いでSNS等で同じ趣味を持つ人と繋がって楽しみながらちょっとしたお金を稼ぐ。
ミニマリストなんて言葉も出てきたぐらいに、物を持たず必要な物だけで慎ましく、だけど好きなことを全力で楽しむ生き方に憧れる人たちも多いです。
「君と僕と珈琲と」はその価値観から生まれています。
日本に強くあるのは相対的貧困(他者と比べることで感じる貧困)であり、他人を見て自分はダメだなあと感じることです。
だからこそ他人を叩くんですね。羨ましい気持ちを悪の感情に注ぎ込み、悪く言えば足の引っ張り合いです。私がこうなんだからお前もこうなれよ、、、と。
僕がのんびーりとキッチンカーをやっていて、「儲からんでしょう?」と笑いながら買わずに通り過ぎる人がいるのも良い思い出ということです。(生活できてますけど)
「自分らしく生きる」とは「相対的貧困を生み出す心を無くそうよ」というメッセージでもあるわけです。
クラウドファンディング 、最後までよろしくお願いします。