お世話になります。「反貧困ネットワーク・緊急コロナ災害アクション」事務局です。
1月1日の活動について、事務局長瀬戸からの活動レポートです。
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新型コロナ災害緊急アクション主催「「年越し大人食堂2021(四谷)」をイグナチオ教会で開催しました。つくろい東京ファンド・ビッグイシュー基金・POSSE・反貧困ネットワークとの協働主催です。世界の医療団、パルシステム連合会、企業組合あうん、そして多くのボランティア参加の皆さんの力を頂いて1日目が終了しました。
全体集計で、340名に「チーム枝元なおみ」手作りのお弁当配布、45名が生活相談、うち4名が豊島福祉事務所との連携でチャレンジネットのホテルに宿泊、14名に生活給付金支給、医療相談が12件でした。
配食チーム「チーム枝元なおみ」は、パルシステム東京の組合員理事をを中心に、枝元なおみさんをサポート、 肉味噌や、そぼろご飯、酢の物、野菜の煮物など、枝元さんが前夜から準備されたという様々なお料理を、用意。ジャガイモのポタージュ、野菜スープなど温かいものも食材の提供は、パルシステム、計15品は全て小分けにして提供。受け取った人は教会近くの土手に並べられたいすに座り、温かい料理に舌鼓を打っていた。当初は200名の予定だったのですが足らなくなると思いきや、緊急買い出しを敢行し、超美味い「かき揚げ蕎麦」を作り、誰一人取りこぼさない配食をやりきった。
今日の相談の特徴は以下のように整理できる。①世代は30代~70代と多岐に渡る。野宿生活が長い方が多い。緊急アクションのSOSメールは20代、30代が多いが、その層は対面相談会には来ていない。②女性が2割、外国人の相談が7人、医療相談が今日は多い。かなり病状が深刻③昨日は生活保護申請が6件あったが、今日はゼロ、生活保護利用による「尊厳の否定」と「孤独」より野宿生活の方が気楽なんだと、、④仕事を探しに来たんです。現状では答えられない。私たち支援のネットワークの次なる課題、支援ネットワークの重層化が必要。
今日も多くの報道陣が取材に訪れた。テレビ局の取材で多い質問、「この方はコロナの影響ですか?」そんな質問はもう止めてほしいし、単路的な報道はもう止めてほしい。10年以上前から、非正規しかなくアパートすら借りれない若者たちの希望を奪ってきたんだ。そう何回も自分で呟く。一過性でない報道を願う。
TBSの金平さんが励ましてくれた。「基金は凄い事なんだ。みんな必要性は論じるけれど誰もやろうとしなかった。どれだけ命が救われたか。」
安田菜津紀さんや望月衣塑子記者など闘うジャーナリストも集結、今や支援者同志となった藤田和恵さん 和田静香さんらは取材というよりボランティアスタッフとして頑張ってくれていた。
原発事故や汚染の問題を中心に発信し続ける和田珠輝さんも調理補助、和田さんはブログでこう報告されている。和田さんの報告を読んで、今日開催できて良かったと思う。
https://note.com/momsrevo/n/n29a4a4cf9624
私は、物資の配布場所で案内をしていたのですが、来場者は性別も年齢相もさまざま。とくに印象に残ったのは、お子さんを連れたお母さん、外国籍の方、そして10代くらいの若い女性。 とくに最後の若い女性は、かなり精神的にも辛そうで泣いておられた様子。お弁当を選ぶのもやっと、という状態。そんな様子を見た枝元さんが、そっと彼女の肩を支えながら、お料理の説明をされていたのが印象的でした。人は、傷ついたとき、弱っているときに、そっと肩を支えてもらえるだけでも勇気が出るものです。また、この日は、生活相談会も開かれていて「私も支えてもらったから、お返ししたい」と言ってボランティアで調理補助に来ておられた若いシングルマザーの女性が、その辛そうな女性の相談に乗ってあげていたんですよね。やはり、同じような経験をしたかたに話を聞いてもらえるのって、すごく安心すると思います。これらは〝共助〟です。本来は、この共助とともに〝公助〟がないと、根本的な問題は解決できないのですが、残念ながら今日本には〝公助〟がないので共助でなんとかするしかありません。そうしないと、人が死んでしまいますから。
元旦の夜もSOSがありました。藤田和恵さんと一緒に都内某所に向かいました。長い間、自分を犠牲にしながら見ず知らずの方を助けてくれていた方で品がある方です。ガスと電機がもう長い間止まっているが家賃だけは払っている。キャベツやブロッコリーの片を拾いながら暮らしている。それなのに見ず知らずの方を今でも助け続けていたのです。生活保護利用しないとアパートの中で死んでしまうのは時間の問題。でも役所には絶望していて生活保護は利用したくないといいます。2時間かけて色々な話をしました。私の価値観に近い事が解りました。私はこう言ったんです。
「最近、支援しても失敗する事が多いんです。」この言葉を聞いて、近寄れたような気がするとその方は少し笑ってくれました。元旦の夜に本当に来てくれるとは思わなかったそうです。
2021年の最初のSOSで出会ったその方との出会い、「アパートに電気を灯し部屋を暖かくしましょう。必ず一緒にラーメン食べにいけるようになりたいです」と言いました。苦しい時は苦しいと言っていいんです。何回も伝えました。車で走り去る時にバックミラーに、ずっとずっと手を振り見送ってくれていた姿が見えました。
21時30分元旦の夜の支援活動がとりあえず終わりました。