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朝鮮人強制労働の史実を伝えてきた「旧光顕寺・笹の墓標展示館」を再建したい

2019年2月、北海道朱鞠内において戦時下強制労働の史実を伝えてきた「旧光顕寺・笹の墓標展示館」が積もった雪の重みにより倒壊しました。私たちは、死者の追悼、歴史の展示のみならず、日本・韓国・在日韓国/朝鮮人はじめ東アジアの若者たちの交流の場となってきた展示館の再建を目指しています。

現在の支援総額

3,882,000

32%

目標金額は12,000,000円

支援者数

381

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2021/06/01に募集を開始し、 381人の支援により 3,882,000円の資金を集め、 2021/07/30に募集を終了しました

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現在の支援総額

3,882,000

32%達成

終了

目標金額12,000,000

支援者数381

このプロジェクトは、2021/06/01に募集を開始し、 381人の支援により 3,882,000円の資金を集め、 2021/07/30に募集を終了しました

2019年2月、北海道朱鞠内において戦時下強制労働の史実を伝えてきた「旧光顕寺・笹の墓標展示館」が積もった雪の重みにより倒壊しました。私たちは、死者の追悼、歴史の展示のみならず、日本・韓国・在日韓国/朝鮮人はじめ東アジアの若者たちの交流の場となってきた展示館の再建を目指しています。

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「僕の人生の大学」

 人は生きていく中でいくつかの転換期を迎える。進学、就職、恋愛、結婚など。僕にとっての人生のターニングポイントは間違いなく、北海道朱鞠内にある「光顕寺」との出会いだった。

 2000年の2月、北海道の中でも豪雪地帯として知られている幌加内町朱鞠内に僕は先輩に誘われやって来た。25歳の時だ。当時、大阪市内の民族学級で講師をしていた僕は更に自分の視野を広げたいと思い、この朱鞠内で行われる「東アジア共同ワークショップ」に初めて参加した。

 参加するにあたって先輩からは「同世代の子らが集まるから楽しいで」という程度の情報しか教えてもらえず、内容もよく分からない状態で参加した。札幌から朱鞠内に向かう道中でも「北海道の雪はやっぱりすごいな~」と、その大自然の景観に感動し、この後に起こる濃い~人たちの出会いは想像できなかった。

 真冬の光顕寺は屋根の上まですっぽりと雪が積もり、まるでマンガでみる「雪ん子」のようだった。そんな光顕寺に日本全国から、また韓国から若者たちが集まり、それぞれの歴史観や経験について熱く議論し、夜な夜な酒を酌み交わしながら親睦を深めていった。高校まで朝鮮学校に通った僕は、このワークショップに参加して初めて同世代の日本人や韓国人、日本学校に通っていた在日の子たちと出会った。

 韓国からの参加者と打ち解けるには時間がかからなかった。受けてきた教育内容は北と南で正反対であったが、同じウリマル(ハングル)が通じる相手として話はすぐに弾んでいった。日本語と韓国語を話せる僕は通訳も出来るので、参加者の多くと話す機会があった。

 ここ光顕寺は戦時中に強制労働で亡くなった朝鮮人や日本人のタコ部屋労働者などが、一夜だけ安置され供養されていた寺だった。そして遺体はその後、墓標もなく誰もわからない状態で土に埋められ、強制労働の歴史と共に記録から消されていった。戦後に郷土の歴史を掘り起こす活動をされていた殿平先生をはじめとする地元の有志の方々によって、遺骨発掘の試みが始まり、1997年からは日本・在日・韓国の若者たちも加わりワークショップとして本格的に行われていった。それから光顕寺は「笹の墓標展示館」として歴史を伝える役割も果たしていった。

 歴史の問題はワークショップの主なテーマであり、議論が深まるにつれて加害者側と被害者側の構図に分かれてしまうこともしばしばあった。在日はそれこそ植民地支配の歴史による象徴的な存在であり、ワークショップの中でも徐々に目立つ存在となっていった。僕も在日の立場や思いをよく話したし、周りの日本人や韓国人はよく話を聞いてくれた。だから僕にとってワークショップは色んな人と出会えて、自分の話をいっぱい聞いてくれる非常に楽しい場であった。他の参加者もみんな同じように楽しんでいると思っていた。

 3年ほど経った頃だろうか。ワークショップで知り合った日本人の友だちに「次のワークショップももちろん参加するやろ?」って聞いたら、その子は少し悩んだ上で「ワークショップに参加はしたいけど、少し気持ちがしんどい。加害者側の子孫としていつも責められているような気がして辛い」と打ち明けられた。その時はじめて自分が楽しんでいたのは自己満足に過ぎなかったと気づいた。

 自分は知らず知らずのうちに日本人参加者に対し、責め立てるような言い方をしていたのかも。なぜ歴史を知らないのか、なぜもっと歴史に関心を持たないのか、など相手の気持ちを考えずに自分の主張だけをしていたのではないか。在日の参加者に対しても自分は韓国語を話せることで、どこか上から目線で接していなかったか… 「東アジア共同ワークショップ」と言いながら僕自身は全然「共同」という意識が薄かった。

 それから参加する姿勢を改めた。歴史を語る時に加害者・被害者の二極化で話すのではなく、共に過去と向き合い同じような歴史の過ちが起こらないようにするにはどうすればいいのか、「今を生きる者」として共同で考えようと。そこから僕の本当の意味でのワークショップが始まった。相手が日本人なのか在日なのか韓国人なのかと意識しないようになった。「今を生きる者」として共に明日を考える仲間へと変わった。

 2012年と2013年に行われた遺骨発掘には親子で参加した。幼かった子どもたちも大人に交じりスコップを手にして土を掘って手伝った。光顕寺の前で撮った家族写真は僕にとって、かけがえのない貴重な一枚だ。

 朱鞠内という場所自体が、光顕寺の存在自体が、歴史の証人である。多くの労働者が亡くなった悲しい地に、声なき声に導かれ集まった僕たち。そんな僕たちは歴史を記録し、また記憶し、いつまでも語り続けていく。

 2019年4月に豪雪によって光顕寺は損傷を負い、翌年倒壊した。

 いま僕たちは光顕寺在ったこの場所に、歴史を刻み新たな出会いを育める「笹の墓標展示館」を再建しようと取り組んでいます。再建資金として3000万円を目標とし、達成まであともう一歩のところまできました。これまで寄付していただいた皆さま本当にありがとうございます。

 人としてどう生きるべきか、人生はどんな人たちと歩んでいけばより豊かになるのか、大きなことを学ばせてもらった人生の大学。その再建にお力をお貸しください。よろしくお願いいたします。

東アジア共同ワークショップ関西
姜守幸


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