台湾人がまだ植民から脱却されていないというのは、意識されていなくても、無意識的に言葉と行動から滲み出しています。私は笹の墓標展示館に訪れた時に、すでに薄々意識しました。台湾は今でも植民されています。自分の主体を持って行動することができていません。
今の台湾の歴史教育の中で、植民問題を論じることがまだ少ないです。外国の話ではなく、日本植民地時代で戦争動員させられ、琉球で命を落としました。戦後、この歴史をしっかり精算するはずでしたが、再び中国に植民されて、戦争責任の精算ができませんでした。それは台湾と言葉を失って、恐怖が溢れて自由がなかった日々でした。民主化から20年、戦後から70年も経って、やっと琉球の平和記念公園で公式的に台湾の塔が建立されて、犠牲した台湾人が記念されるようになりました。また、中国に植民されていた間に、中国の内戦に動員させられた台湾人もたくさんいました。多くの台湾人は帰れない者になりました。その内戦の60年後に、生き延びた元兵士は焼身自殺で政府に抗議しました。そして、やっと「戦争と平和記念公園」が建立されて、唯一台湾籍兵士たちを記念する施設になりました。日本軍、中国国民党軍そして中国人民解放軍の軍服を着た台湾人たちの声を聞く耳は、台湾社会がまだ持っていません。その中に、自分の家族もいたかもしれないのに。公園の敷地は狭くて、国立施設ではなく地方自治体によって管理されています。しかし、記憶を呼び戻すための大事な一歩です。
人類の歴史の中で、恐怖と苦痛が溢れています。歴史を掘り起こすことは難しいですし、過去をあやふやに忘れていくこともしばしばあります。笹の墓標展示館で韓国と日本が手を組んで、過去の犠牲を記念して、平和と自由の難しさを世間に示すことは大事です。台湾もまだ記憶を取り戻そうとしている途中です。お互いの経験と記憶を大事にして、過去の恐怖と苦痛をすべて癒されるように、そして二度と過去の過ちを繰り返されないように、心から願っています。
第十五回東アジア青少年歴史キャンプ参加者、台湾台中教育大学台湾言語学部
Ku龜--ê (Khu Chùn siâng)
受殖這件事我想台灣人即使意識上不清楚,不經思考的話語和表現出來的行為卻都還能證明,對此,當時到館前的我就有意識到這件事的輪廓了,即使台灣還在無法完全以台灣優先和行動的殖民當局管理下。
也因此台灣現行歷史教育的內容和方式對此是鮮少提及和被記憶,不用說外國,像台灣受日殖被戰爭動員在琉球受難,戰後本應開始重建和追討不義的台灣隨後卻因缺乏遠見被完全中殖半世紀,那是失台、噤聲和透過恐怖輾壓自由的日子,一直到所謂民主化開始後的20多年,總共過了快70年台灣的狀況才允許在琉球平和祈願公園以官方名義建立台灣之塔來紀念受難的台灣人,更別說萬名台灣人被殖民中國騙往中國內戰只有百名回來也是過了60多年在倖存台灣人自焚抗議下才順利設立了台灣唯一紀念台籍老兵的「戰爭與和平紀念公園」,這些穿過日本、中國黨和中國解放軍服的台灣人歷史對今日多數台灣人可能還是從所未聞,即使受難的可能就有自己家族內的親人,而園區雖然不大也還只是在地方政府的管轄下,但也已經能算是開始回憶的重要一步。
想想,人類恐怖和痛苦的歷史,曾經發生過的事要能被想起是多麼的困難,過去又是多麼容易的被模糊,韓日能合作來紀念受難的記憶,讓人還能知道和平與自由的不易是有其意義和必要,台灣也還在重建記憶的工程當中,期待彼此經驗和記憶保存的作用下,在那未來能讓歷史只成為遙遠的過去就好。
Ku龜--ê (Khu Chùn siâng)