こんにちは!Renovate Japanの吉田です。
2021年もいよいよ残すところあと少しとなりました。年末年始の過ごし方は皆様様々だと思いますが、Renovate Japanからはこの間も引き続き記事を投稿させていただきますので、片手間の読み物としてご一読いただけますと幸いです。
さて、先日、改めてチームN’estのお二人にオナガハウスの取り組みに至った思いをお伺いする機会があり、今回と次回の2回に渡ってご紹介できればと考えております。今回は、オナガハウスオーナーの鶴岡さんのストーリーです。
オナガハウスとして改修している現在の物件は、鶴岡さんが母、姉と母子家庭になった中学生の時、鶴岡さんの母が建て直した一軒家です。時は1970年代、オイルショック直前に建て替え契約が成立し、鶴岡さんの目の前で、職人さんたちの匠の技によってヒノキ等の国産材を使った堅牢な木造一戸建てが作られていきました。また、苦労の多かった母が災いを避けられるようにと願って、間取りには風水を取り入れていました。
完成後は実家として、母、姉、鶴岡さんの3人で過ごした思い出の場所になりましたが、約20年前、鶴岡さんはその家を母から譲り受けました。きっと上手くこの家を活用してくれるだろう、という母の願いからでした。
しかし、周囲から活用は反対、更地にしてほしいと言われることも多く、譲り受けた時には、家の構造も戸建てに賃貸スペースが付属する特殊な形になっており、家の中も手入れしないと活用できない状態でした。一方、鶴岡さんとしては、実家は駅近で利便性が高く、しっかり職人技で作ってもらったため、取り壊すのも、単に賃貸アパートとして活用するのももったいないし、何か活用方法がないかと模索する日々が続きました。その間、物置として使ったり、姉に貸して甥が住み込んだりしていましたが、なかなか良い活用方法が見つからず、実際にはしばらくほぼ空き家の状態になっていました。
メーカーを早期退職し、子育ても落ち着いてきた頃、鶴岡さんは障害がある人たちの生活の足掛かりとなる道具を普及させるため、あるビジネスコンテストに参画し、そこで倉持さんと出会います。倉持さんはコーヒーを通じて地域に開かれたコミュニティが運営できる場所を探していました。鶴岡さんと倉持さんは、どんな人も小さな挑戦ができる、居場所がある空間づくりについて話し合い、倉持さんからは、鶴岡さんの実家を活用して、シェアキッチン・スペースを作るアイデアが出されました。すっかり倉持さんと意気投合していた鶴岡さんもこのアイデアに乗って、いよいよ実家をオナガハウスとして改修していくプロジェクトを始めることになりました。
次回は焙煎士、倉持さんのストーリーをご紹介予定です。
本年も大変お世話になり、誠にありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。良いお年をお迎えください。