何気ない会話土曜、日曜と子どもと遊ぶことが多いご家庭もあると思います。平日はお仕事という方もリフレッシュとして子どもと遊ぶか、家族サービスとして子どもと遊ぶか、の捉え方でメンタルは変わってきます。本日はリフレッシュとして子どもと一日接した時の会話の話しです。携帯で桜を背景に子どもの写真を撮っていた時のこと、、、。「携帯があれば、なんでもできるよね!携帯すごいよね」と、子どもが言ってきました。確かにその通りです。カメラも持ち歩かなくていいし、コンビニはペイペイなどの電子決済は出来るし、音楽も聞けるし、ゲームもできる。昔はそれぞれ別々の機器が必要だったのに、今は携帯で仕事もできます。何て便利器具だと思いました。しかし、大切なことも同時に気付いたのです。「なんでもできるといって、なんでもしたいとは限らない」と。私と子どもは以前から、草や花などの自然もそうですし、おもちゃや機械にまで感情や気持ち、言葉があったらどうだろう、という観点で世界を見ることがあります。(子どもにいったっては、私の影響なんですけどね(^^;))携帯は何でもできるけど、なにかを「したい」と思うのは人です。その人がなにも「したくない」と思えば、携帯はただの機械・・・。そこで、子どもに「写真を撮りたい、とかゲームをしたい、YouTubeを見たい! といった気持ちを大切にしておかないと携帯も何していいか分からないから、今の○○したいという気持ちは大事に持っててね。」とだけ言いました。その辺から2、3言葉のやり取りはあるのですが、結果「ブランコしたい!!」と言って走り出しました(^^;)・・・さすがに、携帯ではブランコ出来ない・・・。ブランコをしている様子を動画にとって日々を大切にしながら、ちょっと振り返りもしながら、戻らないこの日を大切にしようと再度思った日でした。P.S.本日は内田内観療法に近いモノかな、と思います。私が今力を入れていることにもなり、どこまでいこうと私たち自身が原点なので原点を見つめる、と言った内容ですね!お友達追加はコチラから!!↓↓https://lin.ee/rv6nOYg
子ども の付いた活動報告
美味しい料理ある日美味しいという評判なパスタ屋さんに行きました。評判って結構期待値が上がっていくので、なかなか超えられないところもあるのですが、期待通りの味でした。ランチって少し割安だからいいですよね!と、ここまでならただの食べログで終わってしまいますが、食べてて思ったのが、様々な食材があって、この1つの料理(ペペロンチーノ)が出来ているのって、私たちが家庭にいるのと似てるな、ということです。父、母、子ども、夫、妻、など。家族を形成する各人がおり、家庭を築いているというわけです。考え方私たちが人間関係や家庭内の環境について悩むときこの料理で例えると本当の課題が見えてくる場合があります。そもそも、私たちが子育てやパートナーシップなどで抱えている問題はなんでしょうか?答えは1つ。「問題がはっきりと分からないことが問題」問題が問題であると分かったつもりになっているため、答えが出ません。本当の問題ではないケースが多いのです。悩むよりも分解していくと、全体の図が見えてきます。このペペロンチーノは黒コショウ、ベーコン、パスタ麺、唐辛子、などなど。分解していくと何が足らなくて、何が余計か、順番が違うのか、などなど分かってきます。1人で分解していても中々難しいので、ちょっと無駄遣いかもしれませんが、付箋に書き出すという手法を使ってみましょう。書き出すことで、さっぱりしていきます。そして並び替えるのです!!パスタを食べた日の夜、早速やってみましたが、なかなか付箋戦法いいです( ´艸`)ぜひ!P.S今回は行動分析学からの応用です。「ペットボトルを開ける」という行動だけでも23個位に分解できます!ぜひ、悩みも分解してみて下さい。P.P.S分解は男性は得意な方が多いですが、女性は苦手な方も多いです。得意な人にお願いしつつやってもいいかもしれません。今日の画像は doosyさん からの引用です。ライン登録はこちら↓↓https://lin.ee/rv6nOYg
自分の時間?私たちの限りある時間の中で私たち自身の時間はどれくらいあるのかな、と考えてみました。というのも家族と接していると、平日は仕事、土日は家族という時間になり、自分の時間ってないのではないのかな、と感じているという人からご相談を受けたからです。そう感じている人は多いような気がしますし、私自身もそう感じることがあります。私の場合は平日も土日もどこかで仕事をしていますし、合間でご飯作ったり、子どもと遊んだり、洗濯したり、掃除しながら、レポート作ったりと、、あれ?自分の時間は?となります。気付いた瞬間が自分の時間となり、すぐに、家族や仕事の時間になってしまいます(^▽^;)時間配分これが意外と盲点で、自分は自分の時間を相手や周りのために使っているのにもかかわらず、相手や周りは自分のために時間を使ってくれていないと感じるようになります。なぜなら、人は相手が自分のためにしたことより、自分が相手のためにしてあげたことよりを35倍(体感36倍くらいでちょうどいいかな)覚えているから。そうすると、だんだんとイライラやらちょっとした不道徳なことなどに偏っていき、自分が正義となるようになります。このようにならないためにも普段から自分のこと、主に自分の幸せを求める習慣を作っていくことが大切です。そうすることで自然と相手のための感謝も出てきます。P.S今日は脳科学の話題からの応用編でした。画像は素材背景職人さん (https://www.photo-ac.com/profile/3298317)さんからです!こんな話をラインではしていますので、宜しかったらお友達からお願いします( ´艸`)↓↓ lin.ee/rv6nOYg
原点回帰家事とか子育てってストレスを感じて、きつい日ないですか??そんなところで、今日はいきなり心理のお話しです。でも、そんなに難しくなくて、ロゴセラピーというもの。複雑な話し方ではなく、優しく、ざっくり言うと「意味は何だろう」って考えてみては?というもの。私たちは日々、起きたり、ご飯を作ったり、食べたり、食べさせたり、掃除したり、買い物に行ったり、眠ったり、様々な「行動」をしています。今この記事を見るまでに、朝起きてから何を見たでしょうか?何を聞いたのでしょうか?と、ふと考えてみると、結構なものを見たり、聞いたりしています。家族の洗濯物、フローリングの汚れ、子どもの声、レンジの音などなど。落ち着いて思い出してみると、すごい量ですね(^^;)そして、そのような状態を意識せずに過ごしていると、「分からない」という状態になります。「分からない状態」は気分的にあまり良くありません。不安や緊張を生んでしまいます。そこからうつ状態になったりします・・・。なんで?を問う気分的に沈んだ時にはちょっと遅いのですが、日頃からこの「なんで?」という問いを自分にするとメリハリが出ます。・なぜ、子育てをしているのか?・なぜ、家事をしているのか?・なぜ、働きに出ているのか?などなど。そして、ここからが重要なのですが、1回の答えで納得しては変わらないということです。例えば、出た答えが「しなければならないから」というものだったりします。そこで終わると気持ちは不安なままです。出た答えにはさらに「なんで?」を自分にしていきます。大体3回から5回「なんで?」を問いかけていくと本当の理由に辿り着けます。そして、理由がはっきりすると気分的にすっきりする、という訳です。これが簡単なロゴセラピーというもの。人間は意味を持っていると強くなれるよ、ということです。P.Sビクトール・フランクルの著書であれば大抵このロゴセラピーという概念に触れることができます。(本日の画像はbBearさんです)人間なので波はありますが、出来るだけフラットにいたいな、とは思っていますが、なかなか難しい(^^;)ヒントになれば良いのですが。まずはお友達から活動を知ってみて下さい★↓↓https://lin.ee/rv6nOYg
感想はどこで・・・自転車に乗る練習を子どもとしていた時に子どもから教わったことがあります。それは、、、「ぼくは自転車にのれない」という感想を言い出した時です。確かに現時点で子どもは自転車に上手に乗れません。しかし、私たち全員が自転車に乗っている人を知っています。中には乗れない人もいるかも知れませんが、乗れる人はいます。にもかかわらず、「自分を乗れない人」と思うのはまだ早いんじゃないかな、と思った訳です(^▽^;)「乗れない」ではなく「乗らない」のか「乗りたくない」のか「乗れるよう」になりたいのか、ゆっくり確認していくと、乗りたいという想いはあるようでした。ですから、乗れるようになるために練習をしました。そして、驚いたことに割と早い段階で乗れるカタチになりました・・・。最初はハンドルの操作も出来なかったのに(笑)信じること自転車の話しから思ったことは私たちは感想を出すのが早すぎるのではないか、ということ。何か出来ないことがあるとその時点で「出来ないこと」と判断してしまい、「やりたい」という気持ちは置いてけぼりになってしまいがちです。世の中の選択肢は「出来る」「出来ない」ではなく「やる」「やらない」の選択肢だけだと感じました。現時点で出来ないことは数年後には当たり前に出来ることになっている可能性があります。と、考えるとテスト結果に一喜一憂することなく、ロングスパンで物事をみようとしてみてください。私の知り合いにも中学にグレていた方が、社会貢献活動をしているという人もいます。中学の時に成績優秀を言われていた方が、今は毎日が面白くないと言っている人もいます。どちらも人生半ば。どう進むかはまだ分かりませんが、人生の最終地点を考えてみると、感想は変わってくるかもしれないな、と自転車に乗る子どもを見ながら思う日でした。P.S心理学的には自己理解、一致と不一致からくるメンタルの歪みというものになります。この自己と現実の差が大きくなると、人はメンタルを崩しがちになると言われています。カウンセリングとはこの差をゆっくりと埋めることです。自転車に乗れない現実と乗れているイメージの一致を促したという訳ですね。