便利になったインターネットで、いろいろなツールが増えてより多くの方に届けられるようになり、なんとなくですが、自分なりに使い分けています。
それで、同じ内容をあちこちに貼り付けるのは、どうかと思いながら、暑くていつも以上にアタマの回転が遅いので、あまり大っぴらに宣伝してないブログの記事を以下に貼り付けますm(_ _)m
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「命をいただく体験を子どもたちにさせたい」という、ひとりのお母さんの想いは、これが波紋を広げるということかと実感するほどに大きな輪の広がりとなり
今日は多くの親子さんたちが来てくれて、有精卵を、孵化器とホットケーキに入れました。
子どもたちの歳は、多くはひとケタでしょうか。ちょっとむつかしいかな・・・と思いつつ、60個の卵を前に、容器を二つ用意して、最初にこう問いかけました。
「この卵をひよこにしたい子はこっちの入れ物に。ひよこにはなれないけど、ホットケーキに入れて食べたい子は、こっちの入れ物に入れてください。みんなが卵の命をどうしたいか選んでね。どっちがいいとか悪いとかはないから。」
子どもたちは、その小さな手で卵をつかんで、しばし沈黙の後にヒヨコかホットケーキかを選んで置いていきます。
2,3歳くらいの子たちは、あまり迷わずホットケーキを選ぶのに対し、小学校へ入ろうとするくらいの歳の子たちは、意を決したように、ヒヨコの入れ物に卵を置いて立ち去ります。
大人が思うよりずっと、子どもの心は幼くとも実に深いのだと自分が教えられる思いがしました。
人間は、卵に限らず、常に命の選択を無意識に繰り返して食べながら生き延びているわけですが、知っていていつの間にか無意識になるのと、知らないで無意識のままでいるのとは、いただきます。の言葉に宿る言霊の質が、きっとどこか違うのだろうと思うのです。
「この卵、本当はヒヨコになるはずだったのに、ホットケーキにしてしまった。と思うかもしれないけど、ホットケーキを食べることで、ヒヨコにはなれなかったけど、みんなの体になれるから、ヒヨコの分まで自分を大事にしてね。」と伝えて、
あとは、孵化器が卵のお母さんであることのお話しをして、説明はおしまいにし、
丸い型で次々にホットケーキを焼いていただきました。
大量に余ると予想したホットケーキは、その場で全てみなさんのお腹の中へ入り、
ヒヨコになれなかった卵の命は、多くの親子に分散されて生きる糧となりました。
子育て真っ最中のお母さんたちだからこそ、なにか感じるものもあったでしょうか。
ご縁というものは、本当に不思議なもので、冒頭のお母さんは、10年ほど前に新婚さんで農業体験に参加してくださったのが出会いの始まり。
地道に歩いているうちに、辻角で何度も再会しては懐かしむ度にうれしさが増す今日この頃。
心身共にジメジメした梅雨はようやく開けそうです。