こんにちは。失語症の日制定委員会の松嶋です。
最近、私の所属するNPO法人Reジョブ大阪では、文筆業、鈴木大介さんとのお仕事が増えてきました。鈴木大介さんは、高次脳機能障害の当事者ですが、脳受傷前の言語表現能力を活かした当事者の苦悩、また症状の説明や表現がとても素晴らしく、名のある諸先生方からも「その症状は、そういうことだったのか!」という感嘆の声をよく耳にします。
鈴木大介
女性や子ども、若者の貧困問題などを主なフィールドとするルポライターだったが、2015年、脳梗塞を発症し、高次脳機能障害の当事者に。これまで取材する側であった「生きづらさ」を抱えた人と同じ立場となったことで見えてきた世界について、情報発信をしている。病後の代表作は『脳が壊れた』『されど愛しきお妻様』『脳コワさん支援ガイド』(2020日本医学ジャーナリスト協会大賞受賞)など。
その鈴木大介さんから、この「失語症の日」について、応援メッセージが届きましたので、紹介します。
失語症は、数ある脳機能障害の中でも、もっとも残酷な部類の障害です。
僕自身は失語症の当事者ではなく、高次脳機能障害の当事者ですが、失語症診断のある方のお話を聞くと、談話障害をはるかにしのぐその不自由と理不尽に、悲痛な気持ちにならざるを得ません。
まず失語症の当事者にとって非常に残酷なのが「言葉のコミュニケーションが不自由」というだけで「知的なスペックまで落ちている」と判断されてしまうこと。つまりその人が発症前の人生で積み上げてきた経験や知識や尊厳を軽視されてしまうということです。
言葉が不自由なだけで、判断できることも理解できることも、できないことにされてしまう。それは当事者にとって、本当に耐えがたい屈辱です。
また、失語症の診断を受けている方には、言葉が不自由なこと以外にも、注意や記憶や認知判断に関わる障害(僕の抱えている障害と同じ、いわゆる高次脳機能障害)も併存されている方が多いのですが、失語のある方は、高次脳機能障害の特性によって起きる不自由を、周囲に理解してもらったり配慮をお願いしたりすることが大変困難です。
たとえ言葉がつかえても理解してもらうことの困難なこの障害について、それを伝える最大の手段が失われているというのは、もう、想像しがたいほどのつらさでしょう。ご本人が言葉で訴えられないことで、併存する高次脳機能障害に診断漏れが生じ、支援も配慮も受けられないといった事態も、大いにあり得ます。
駄目押しに、失語症と高次脳機能障害が併存する当事者には、障害特性を乗り越えることの困難もふりかかります。例えば高次脳機能障害の多くの当事者に共通する特性として、ワーキングメモリ(短期記憶・作業記憶)の低さや、頭の中だけで手順を組み立てたり言葉を論理だてたりが苦手だったりすることがありますが、この「頭の中だけで〇〇するのが苦手」という特性をクリアする代償手段として取られるのが、脳内の思考や記憶を紙に書き出すことなのです。
頭からすぐに消えてしまうことを「メモする」=消えない情報にすることは、健常の方にも想像しやすい代償手段でしょう。雑な思考や段取りなどをを考える際にもやはり「紙の上に書き出した自身の文字を手掛かりに、紙の上で手順や言葉を組み立てたり整理する」といった手段をとることで、その不自由を大幅に解消することができるます。
ところが、失語症には「文字を書く・読む」ことにおける不自由もある。つまり、失語症の当事者には、こうした代償手段すら取れないことがあるのです。
現状、この不自由がどれほど当事者にとって大きな苦痛となるかについて、あまりに社会には知られていません。失語症のある方は、言葉に不自由があるだけで、元々のパーソナリティや知的思考は変わらない方も多い。言葉が不自由なことの背後に隠れた、多くの苦しみすら無視されてしまうことも多く、それを乗り越えることもまた困難。何と理不尽な障害なのかと思います。
失語症の日、425の日を機会に、改めてこの障害が広く世に知られてくれることを願ってやみません。
鈴木大介さんの著書『脳コワさん支援ガイド』がリターンにあります。
本の紹介
会話がうまくできない、雑踏が歩けない、突然キレる、すぐに疲れる……。病名や受傷経緯は違っていても、結局みんな「脳の情報処理」で苦しんでいる。高次脳機能障害の人も、発達障害の人も、認知症の人も、うつの人も、脳が「楽」になれば見えている世界が変わる。それが最高の治療であり、ケアであり、リハビリだ。疾患ごとの〈違い〉に着目する医学+〈同じ〉困りごとに着目する当事者学=「楽になる」を支える超実践的ガイド!
鈴木大介さんも応援してくださっています。
失語症の日、そしてその日出版予定の失語症の本、気合を入れて仕上げていきます。
応援、どうぞよろしくお願いいたします!