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大槌町に江戸時代から伝わる、東日本大震災で被災した仏像を修復したい!

岩手県大槌町の沢山不動尊には、江戸時代に制作された不動明王三尊像が伝わります。像の制作には盛岡南部藩の豪商・前川善兵衛や江戸の仏師が関わっていた可能性があり、地域の歴史文化の証といえる文化財です。しかし東日本大震災の津波によって大きな損傷を被っているため、10年目のこの機会に修復しようとしています。

現在の支援総額

1,472,500

105%

目標金額は1,400,000円

支援者数

114

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2021/04/12に募集を開始し、 114人の支援により 1,472,500円の資金を集め、 2021/05/30に募集を終了しました

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現在の支援総額

1,472,500

105%達成

終了

目標金額1,400,000

支援者数114

このプロジェクトは、2021/04/12に募集を開始し、 114人の支援により 1,472,500円の資金を集め、 2021/05/30に募集を終了しました

岩手県大槌町の沢山不動尊には、江戸時代に制作された不動明王三尊像が伝わります。像の制作には盛岡南部藩の豪商・前川善兵衛や江戸の仏師が関わっていた可能性があり、地域の歴史文化の証といえる文化財です。しかし東日本大震災の津波によって大きな損傷を被っているため、10年目のこの機会に修復しようとしています。

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(株)文化財マネージメントの宮本です。先日お知らせしたように、ゴールデンウイークには今回のプロジェクトと関係する内容のイベントが、大槌町文化交流センターおしゃっちで開催されました。「大槌の歴史を知って町おこし 前川善兵衛を知ると三陸がもっと面白くなる! Vol.1 なぜ大槌に有名仏師の仏像が?」というイベントで、(一社)大槌観光交流協会が主催し、NPOまちづくり・ぐるっとおおつちが共催しました。今回、観光協会さま、NPOから画像を、佐々木勝宏さんから展示文化財一覧をいただきましたので、掲載いたします。おしゃっちの多目的にホールに、豪商・前川善兵衛家に縁のある文化財が展示されました。展示された文化財展示された文化財は下記です。1.三日月神社不動明王立像厨子(明和七年大道良安父子制作・請来経緯刻銘)2.大念寺善導大師立像(寂照軒惣門弟古沢屋山口清助利記浄圓らが寛政六年奉納寄進)3.大念寺法然上人立像(寂照軒惣門弟古沢屋山口清助利記浄圓らが寛政六年奉納寄進)4.大念寺寂照軒位牌(前川善兵衛五代富能奉納寄進)5.前川稲荷神社白神狐阿形像(鍵を咥える)6.川稲荷神社白神狐吽形像(宝珠を頭頂に乗せる)7.前川善兵衛家御悔帳(慈泉と祖睛の部分)8.前川家系図・本家分(前川善兵衛五代富能制作)9.前川家系図・分家分(前川善兵衛五代富能制作)10.三日月神社不動明王縁起(撰文揮毫ともに祖睛)11.厨川稲荷神社稲荷社扁額(前川善兵衛六代富長文化三年奉納・揮毫松下烏石)12.前川稲荷神社両社殿扁額(前川善兵衛四代富昌宝暦九年奉納寄進・祖睛となる武助が烏石に依頼)13.日光東照宮本坊修理費用捻出命令書(前川善十郎(のち四代富昌)宛盛岡南部藩勘定所奉行連署捺印)14.日光本坊修理諸費用控懐帳(大槌から携帯した材料や道具、現地での小屋建設などの費用を記す)15.方形包紙内円形明神丸船霊様(種字で囲まれた円形紙に十一面観音の種字が朱墨で記されている)16.前川孝七揮毫二渡神社幟墨書(前川善兵衛家から運送を担わされた分家の里屋里舘孝七の手)17.船玉大黒天恵比寿三神大漁祈願絵(里忠家旧蔵)18.三井親和筆墨書南山作寿桮(里忠家旧蔵)19.市河米庵筆墨書文武開宏壮(里忠家旧蔵)20.前川稲荷神社稲荷社扁額(戊辰戦争時の藩主南部利剛揮毫 印は左中将源利剛)これらのうち、大念寺の善導大師立像と法然上人立像は仏師・安岡良運が制作したもので、今回のプロジェクトの不動明王三尊像と同じ作者と考えられます。前川善兵衛家の功績と関係する文化財について、佐々木勝宏さんの講座がありました。佐々木さんの講座の様子また、展示された文化財を前に佐々木さんによる解説がおこなわれました。佐々木さんの解説の様子修復中の文化財については、残念ながらリモート参加になってしまいましたが、(株)京都科学の修復家・那須川善男さんがその過程について解説しました。那須川さんのリモート解説の様子那須川さんには今回のプロジェクトで不動明王三尊像の修復を担当していただく予定です。今回のイベントには多くの来場者があり、前川善兵衛家や仏像、地域の歴史文化への関心の高さを感じます。文化財一つ一つだけでは過去の出来事はなかなかわかりませんが、こうしていくつも見ていくことで、地域の歴史がわかってきます。そのためには一つでも多くの文化財を調査し、後世に伝えていくことが不可欠といえるでしょう。


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(株)文化財マネージメントの宮本です。本プロジェクトの対象である木造不動明王三尊像は、プロジェクトの説明や以前の活動報告でお知らせしているとおり、修復後は大槌町中心部に現在建設中の「三陸社地天満宮」に安置する予定です。前回は基礎のコンクリートのみの状況でしたが、現在は柱や梁もできてきており、だいぶ社らしくなってきました。5月12日現在の三陸御社地天満宮の建設状況


(株)文化財マネージメントの宮本です。本日5月13日の盛岡タイムスに、今回のクラウドファンディングについての記事が掲載されました。岩手県内の方はぜひご覧くださいませ。


(株)文化財マネージメントの宮本です。本プロジェクトで対象としている不動明王三尊像の制作は、僧侶の佛眼祖睛がその指導にあたりました。佛眼祖睛はこの像だけでなく、大槌町の歴史文化に重要な役割を果たしました人物です。今回の活動報告では、その佛眼祖睛について、岩手県立博物館・元学芸員で三日月神社文化財調査員である佐々木勝宏さんにコラムを書き下ろしていただきました。下記に掲載します。澤山の不動三尊像を開眼した僧佐々木勝宏澤山の修験者(山伏)は寶明院あるいは宝妙院でした。ご本尊を再興してまつるために、佛眼祖睛に不動明王を制作する算段を願いました。現在の大槌町の中心地にある御社地は様々な天神や弁天などの神仏を祀った東梅社という祖睛の自庵でした。朝日がまぶしく、一部が二階建ての建物だったので観旭楼あるいは柳の木が窓辺に植えられていたので柳下窓と署名していました。この人物は大槌の古里屋菊池佐兵衛の弟武助として享保14年(1729)生まれます。兄佐兵衛秀井は、息子に家業を譲って20歳の延享2年(1745)ころには早々に出家しています。弟武助は、家業を担う甥を支えて実家を応援しながら、前川善兵衛の遣いをしていますから、商売のノウハウは前川家で学び、重職を担ったと考えられます。明和元年(1764)に荒れ地を購入して後の東梅社となる土地を造成しています。現在、地元で御社地(おしゃち)と呼んでいる場所です。この時36歳ですし、まだ出家していません。水戸の羅漢寺や長崎の清水寺の高僧たちと親交を深めています。40歳の時の明和5年(1768)に長崎俵物の証文に古里屋佐兵衛代武助と署名しています。41歳の明和6年(1769)には、水戸、京都、大坂、長崎などを訪問しています。商用でしょうが、この時、水戸の観海上人と出会い、前川善兵衛家の依頼を受けていて、全国的に有名な書家松下烏石(まつしたうせき)に「両社殿」という額字をもらってきました。この扁額は津波に遭い、破損はしましたが現存します。長崎に向かう際か帰路に太宰府天満宮を勧請して、翌明和7年(1770)に東梅社に天神を祀っています。全国行脚した際に携帯した過去帳に寂照軒の戒名と命日が記されていることから、大念寺に開かれた塾で学んだことが推測されます。実家の家業や前川善兵衛家での仕事にめどをつけた後、天明4年(1784)の涅槃会で、56歳で出家しています。地元の人々のために殺生禁断碑や一字一石経塚などを建てています。寛政元年(1789)には大般若経六百巻を真読して、写経に入ります。このほかにも正法眼蔵も書写しています。普段は、妙法蓮華経の持経として、読経、写経、説法による流布などに熱心でした。大槌通にあった30余りの曹洞宗の寺院のすべてで、30日間法華経の真読も修行もしました。決められた内容の食事のみで、摂取時間を守る木食戒を守り、一人で住み、横になって就寝せずに興法利生に余生を使い切った僧侶です。彼が甥の惣助と息子の木兄に世話をさせて江戸人形町の安岡良運に制作させ、東梅社で開眼供養を行って、澤山に安置した、おしゃちゆかりの仏像です。


朝日新聞に掲載
2021/05/08 11:27

(株)文化財マネージメントの宮本です。昨日5月7日の朝日新聞に、今回のクラウドファンディングについての記事が掲載されました。津波で傷んだ仏像 江戸時代の有名仏師作か 岩手・大槌ウェブ版にも掲載されていますので、ぜひご覧くださいませ。