クラウドファンディング終了まであと4日です!』
クラウドファンディングをする訳
(田丸の今後への想い)
今までしてきた事を含めてクラウド終了の日まで、皆さんに知って頂きたいと思い、毎日書き留めていきたいと思います。(興味ない方はスルーして下さい。)
『株式会社むらおか振興公社』
ペンションという宿泊業を一生するつもりでやってきた。しかし、ハチ北でハチ北自然協会(今のハチ北観光協会)の会長になった時、自分の人生が動き出した。
理事として村岡観光協会(当時村岡町)の会員であった時、あろうことか会長に推薦されたのだ。
それまでの会長は60代、僕はまだ39歳だった。断るが説得され、腹を決めて会長を受けた。町からみた観光を追求する立場になった。
そしてその後『たじま高原植物園』の話が上がり、会社設立に向けての発起人に選ばれた。『道の駅村岡ファームガーデン』を加えた『株式会社むらおか振興公社』の取締役に自動的になっていった。
現場の責任者は町の課長クラスが3年間の出向で支配人を務めた。残念ながら3年間で会社は大きな債務を負い存続が危ぶまれる事態になった。次の支配人の選定が難航する。
役員会もおおもめ、仕方なく会社存続の改善案を提出した。それが困ったことに。
ある日、村岡町長(会社社長兼任)によばれた。改善案を出した君が支配人になってくれと。『えー!』
それは凄い悩んだ。一生続けると決めていたペンション経営をどうする。僕が何故そんなリスクを負わなければならないのか。悩みに悩んだ結果答えを出した。
これが町のためになるなら、誰もやらないのならやってみよう。債務のリスクが一番大きかったが、ハチ北自然協会でも解決してきた経験もある。今まで乗りきってきたんだから、何とかなるだろう。思いきって飛び込もう。そう思い決断した。当然家族会議は何度もし、了解をえた。
『株式会社むらおか振興公社』に入り、改善案を元に思いっきりやらせてもらった。何とか債務も返済し難局も乗り越えてきた。(今までの投稿ご覧下さい)
思い返して今『キッチンカー』のクラウドファンディングをやってるのは、会社という組織(第3セクター)でなく、更にもっと自分らしい納得した形の観光。
人と人の繋がりを追求していき、たくさんの人と直接関わりあって、未来に歩んでいきたいと、言うことだと思っています。
是非一緒にやりませんか。