クラウドファンディング終了まであと5日です!』
クラウドファンディングをする訳
(田丸の今後への想い)
今までしてきた事を含めてクラウド終了の日まで、皆さんに知って頂きたいために、毎日書き留めていきたいと思います。(興味ない方はスルーして下さい。)
『ペンション アントネージュ』
25歳で起業し20年間した仕事だ。生まれた場所はハチ北スキー場。
ここには、力があった。先輩の努力のおかげがあった。ほとんど貯金無しで、多額の融資を受けて開業にこぎ着けた。
1年目は普通に雪が降り、予想通り順調な売り上げがあった。2年目、なんと『暖冬』(それまでこんなひどい事はなかった) 雪が降らない。シーズンの半分は営業出来なかった。当時の借入資金利息は9%台。(多分ピーク)返済と同じくらいの利息がかかる。
シーズン終わった春、頭を抱えた。倒産するかも知れない、まだ独身、両親と始めた仕事だった。
泣き言は言えず、次の冬までアルバイトで必死に働いて繋いだ。
そして3年目の冬。神のおかげかその年は豪雪だった。1月は毎日雪が降り続け、降る雪を見ない日は3日ほど。雪かき、除雪はとっても大変だったが、3月いっぱいまで営業が出来、危機を乗りきった。売り上げは大はばに伸びた。
苦しい時を乗りきった経験で、その後は伴侶も得て、そんなに大変だと思わなくなった。
ハチ北高原は、スキー場として有名だ。そこで宿泊業をするのは普通の流れである。しかしこの事業を継続しようとする時、2・3年たつと分かって来る。お客さんが来る目的は一番がスキー場、宿は2番目、でしかない。それなら、この場所、地域に魅力がないとお客さんは来ない、増えない。だったら地域を良くしなければ、PRしなければならないと気づく。そこから、自分の地域愛が芽生え始める。そこに自分を持っていかないと、と思うようになった。若いメンバーで構成したイベント団体を立ち上げて活動していく。すると観光協会の役のメンバーにも選ばれる。やり始めるととても面白い。自らの経験と観光の勉強を続けていく。自分の家業がおろそかになりそうになりながらも、家族に支えてもらいながら、バランスを考え、やって来た。
この仕事を一生続ける仕事と思っていた。人生は分からない。途中で方向転換になった。
この先は明日お伝えします。