宇野です。明日はついに東京オリンピックが開幕して「しまう」ことになります。僕たちは6年前に「オルタナティブ・オリンピック・プロジェクト」というかたちで、開催反対の立場から2020年の東京オリンピックの「対案」を提示した(当時の誌面はここで無料公開中です)という経緯があって、このオリンピックの強行開催とそれに関連する茶番の数々には、とても、とてもとてもとても思うことがあります。
しかしそこで、ちょっとうまいことや胸のすくことをTwitterに投稿して言論ポルノで支持を集めるようなことをするのもかなり違うと思うので、僕らなりの、「遅い」インターネット的なアプローチでこの問題を扱いたいと考えています。
そのうちのひとつが『モノノメ』創刊号に掲載予定の、「東京2020/2021はどうあるべきだったか」と題した座談会です。
これは、6月に開催したトークイベント(僕が司会で、乙武洋匡さん、門脇耕三さん、岡島礼奈さんが出席)の採録に大幅筆修正を加えたもので、僕たちの6年前の計画を再検討しながら、このオリンピック/パラリンピックはどう扱うべきだったのか(そもそも必要なのか)、そもそも21世紀においてスポーツとはどうあるべきなのか、メディアの問題、社会の多様性の問題、民主主義の問題と、網羅的に、縦横無尽に、とことん議論しています。
たしかにこのオリンピックは……さすがに酷すぎる。
今の日本のダメな部分の象徴というか、失われた30年の帰結でもあるだろうし、世界的にはコロナ・ショックに翻弄された人々の失敗例の代表のようなものになっていると思います。
そして僕たちは「だからこそ」、うっぷんを晴らすための道具にこれを使うのではなくて失敗からできるだけたくさんのものを引き出して、学び倒して、そしてこれからの社会で何を作るのかという議論につなげていきたいと思います。
本当はこの茶番に関連した世論の沸騰を、動員に使うのが商売としては正解なのだと思うけけれど、そういうことをやってすり減らずに済む「考える場」をつくるのがこの雑誌の目的です。それでは、(連休中だけれど)編集作業に戻ります!