宇野です。この連休中は、「モノノメ」創刊号に掲載のフォトエッセイ「10年目の東北道を、歩く」の本文を執筆していました。
この創刊号で、細かいところは僕が編集部名義で本文を書いたり、リードやキャプションを記名/無記名を問わずたくさん書いたりしているのだけど、きちんとした署名原稿はここだけになる予定です。
今年はあの震災から10年目になります。僕はこの震災はそれぞれの土地の問題であると同時に、いまの日本を象徴していると考えています。だから、このタイミングで定期刊行物を創刊するならまずは、ここからはじめよう、と考えました。
僕がこう考えるようになったのは、実はしばらく前にまったく別の用事で、今回歩いてきた宮城と岩手ではなく福島を中心にいくつか被災地を歩いてきたことが直接のきっかけです。
それはなかなかな……いや、かなり強烈な体験で、要するにこのとき僕は復興という大義名分で大量に流れ込んだ税金の再分配のゲームが、あの災害と事故を経てこの土地と人間との関係をどう再構築するかという本来の問題を完全に覆い隠して、一人歩きをはじめているのを結果的にだけれどかなり身も蓋もないかたちで実感して帰ってきたわけです。
そして東京に戻ってきた僕は、これはもう一度しっかり自分で取材しないといけない……ちゃんと自分で企画して、しっかり時間をかけて、歩いてみてこなければいけないと、そしてそのことをきちんと書こうと決めました。
実際に取材に出かけたのは少し前のことで、石巻と気仙沼で復興に関わってきた二人の知人を訪ねることを中心に置きました。その過程で目にしてきたものについて考えたことを、10年間自分の土地で戦ってきた人にぶつけてみる、という形でやってみることにしました。
10年前に東北に名前を上げるチャンスと復興予算のおこぼれが埋まっていると大はしゃぎで出かけていったメディアや文化人のほとんどが、もうこの土地に見向きもせずに、コロナ禍とオリンピックの話題に占拠されたタイムラインにどう乗るか、逆張りするか、どっちが得かみたいなことばかり考えています。
昨日夜の開会式にも、震災とその復興についてはアリバイ的にちょろっと配置されていただけだけで、それが「世間」(本当に嫌いな言葉です)のこの問題に対する距離感なのだと思います。
しかし、僕にとっては違う。むしろ、あれから10年経ったからこそ見えてくるものが、あの土地たちにはそれぞれ、数え切れないほどある。それは被災地に寄り添っている、とかではなくてただ単純に、実は自分たちがずっと直面していた問題がこれらの土地に、あれから10年立ってるからこそ、端的に露出している。
東北の、被災地との間には距離がある云々という言説こそが、今となってはむしろフィクションに見える。それを、僕は自分の足で歩いて体感してきました。この2日くらいは、それをどう文章にするかで苦心しています。
我ながら、創刊号の巻頭からあまり売れなさそうなーー少なくともタイムラインの潮目には乗っていないーーものを取り上げているなと思うのあけど、いまの僕にはこういう作り方しかできない。そして、へこたれそうになるたびにこのクラウドファンディングの応援コメントを読み返して、元気を出しています。引き続き、よろしくお願いします。