宇野です。昨日は『モノノメ』創刊号最後の取材のために都内某所に出かけていました。まだ、ここに公開された目次には載ってない記事なので、お楽しみに(そのうち報告します)。
そして夜は昨日送られてきた井庭崇さんの論考を読んでいました。今回の『モノノメ』は「自分が読みたいものを、自分が業者として発注して自分で編集する」という僕の本づくりの基本に立ち返る、というがコンセプトの一つです。『PLANETS』のvol.8から10までは一冊の雑誌を通じて僕が熟成してきた「世界観」を見せることを重視していたのだけれど、今回は違います。もっと、僕がこれから自分の世界を広げていくために、手を伸ばしたいところがどんどん載っていく、そんな雑誌になっていくのだと思います。
さて、この井庭さんの論考の副題は「柳宗悦とクリストファー・アレグザンダーを手がかりとして」です。つまり「民藝」と「パターン・ランゲージ」とを比較検討している論考です。なぜ、活躍した時代も違えば分野も違う二人の仕事が並べられるのか? それは一つにはアレグザンダーが柳の読者であり、その影響を自ら告白しているからなのですがこの井庭さんの論考の肝は、柳がかつて主張した「用の美」をこれからの社会で、活かすために必要なものがアレグザンダーの「パターン・ランゲージ」的なものにある、と位置づけていることです。
タイトルにある「創造社会」とは「消費社会」から「情報社会」への「次」の流れに来るものです。つまり人々は20世紀の後半まではモノを消費することにいちばんの価値を覚えていた。そして、今は「情報社会」で情報の送受信(による承認の獲得)にいちばん価値を感じている。そしてこれからは何かを「創る」ことに価値の中心が移動するーーそれが井庭さんの見立てです。しかし、今日の情報社会を見渡すとそうした進化の萌芽すら見られない。インターネットを与えられたことで証明されたのは、ほとんどの人間は創造性のかけらもない承認欲求ゾンビ(と呼んでいるのは僕です)であり、その結果として流れに流されたり、逆張りしたり、とにかく他人の、世間の目を気にして誰かに認められたい、みたいなことばかり考えている。しかし、もしここにパターン・ランゲージ的な発想が有効に社会に機能すれば、こうした人々の日々の暮らしから「創造性」が引き出される……こうした可能性が、今や古典となった二人の著作の接続と読み替えで示されます。
これは文章の終盤で明らかにされますが、これは井庭さんからの僕の『遅いインターネット』への応答でもあり、僕自身とても大きな刺激を受けました。僕もこの井庭さんの仕事に、しっかり応答したいと思います。そしてこういう知的生産が生まれる瞬間に立ち会えたとき、僕は「この仕事をしていて本当に良かった」と感じます。
ちなみに、最初は12000字から16000字というオファーだったのですが、上がってきたのは27000字でした。もちろん、全力で台割を組み開けてページも増やしました(そして予算も)。予想より分厚い本になりそうです。クラウドファンディングも引き続き……よろしくお願いします!