(小林さんの写真は龍ヶ崎の「いま」。撮りにいけない私の救世主です~)
スナック菓子への対抗策として切り餅を作り始めたとき私はまだ40代でしたから、結構働きましたねえ。切り餅がインスタントラーメンのようにヒットしてすごく売れました。
平成5年頃、日本米が不足になり旅館やホテルの食事にもインディカ米が出るような事態のときは代替食としての切り餅は安価で美味しいということで売れた中でも、バラ集めの他社よりきちんと詰めたお餅と、天然の井戸水(美味しいので皆さんがもらいに来ました)の味が良かったことで鍵林の生切り餅も評判となりました。
ぶっちゃけ、生切り餅は国内産の餅米ではなく、タイから砂糖を混ぜてフラワー粉と言われたものを輸入して、日本で砂糖と糯米粉を分離したものを使っていたし、手間もかからなかったので非常に安く消費者の手に渡ったのですね。
平成5年の9月から12月まで一日も休まずお餅を作っていました(*‘∀‘)関西から糯米粉が10トン車で一日置きに配送されて・・当然製造が間に合わないので近くの流通経済大学の学生さんが毎日10人くらいバイトに来ていて、体の弱い主人の代わりに出ていた私と、競争みたいにしてモチづくりをしました。
11時頃に仕事が終わると、学生さんを引き連れてまだ一軒しかなかった山岡家にラーメンを食べに行ったり、牛久の回転寿司を食べに行ったり・・
学生さんのいろいろな人生相談に乗ったり(恋愛から卒業謝辞まで)、大変な時期を楽しんで乗り越えましたね(^^)/その頃の学生さんの中に今の鍵林の専務もいたのです(^^♪
全国に散っていった学生さんの中には今も連絡が取れている子もいます。みんなオッサンになってるでしょうね(;^_^
しかし、その生切り餅も簡単にできるためにライバルが林立して鍵林はまたもや危機に陥るのです(;^ω^)でもまあ長く喋り過ぎたので今日はこの辺で・・
いつも変わらぬご支援、本当にありがとうございました<m(__)m>
まだ達成してないけど、終了は目前、ちょっと寂しくなっちゃうのかなあ・・