12月30日(活動2日目)この日は、ゆっくりと朝を過ごしたあと、KAPASARへ向かいました。 フィリピンには、バランガイとよばれる最小行政区があります。山村にあるバランガイにある集落のひとつがKAPASARです。 「かばんが開いているよ。」「落し物をしたよ。」「服が汚れているから払いなよ。」とてものどかで、人々の優しさがいっぱいの、心温かい集落です。環境が劣悪なスラムに比べると、住みやすさがあるかもしれません。 でも、街にでなければ、なかなか仕事はありません。KAPASARにも、土日になると親とともに街へでかけ、観光客に物売りをしている子がいます。 KAPASARでも、リコーダーを届けてきました。ただ、数に限りがあったため残念ながら全員の手に渡すことはできていません。僕が配ろうとすると、収拾がつかなくなりそうだったので、村の大人に説明し、手伝ってもらいました。 KAPASARには個人で足を運びました!村にも顔なじみの子や大人がたくさんいます。この旅では2回訪問しましたが、その内一回は、たまたま宿泊先が同じだった日本人の方々を案内して、一緒に活動を行いました! ストロー笛や折り紙、インクを使ったアクティビティなどをしました。 『僕たち日本人が何かをしたところで、彼らにとって何かが変わるのか?』そんなことを、ふと感じたりもします。悲観的になることなく、毎日を明るく生きている彼らにとっては、もしかしたら"余計なお世話"かもしれない。 gun-obやKAPASARで届けたリコーダーは、今ごろ親に取り上げられて売られているかもしれない。これは、実際にある話なんです。「少しでもお金に変えるために…」 でも、行動しなければ、何も変化は起きない。だからこそ、僕は行動を続けようと思っています。 もし、そんな現実があったとしても。その時の楽しいといった気持ちや彼らが見せてくれる笑顔は本物だと思うんです。それは僕らも同じ!そしてみんな、その時の事を覚えてくれている。僕たちにとっても、かけがえのないものです。
12月29日(活動1日目)午後からは、gun-obとよばれるスクワッターエリアに行きました。スクワッターとは、無断居住者や不法占拠者という意味です。 この地区で支援活動などを行なっている方と話をする事もできました。ここに住む子どもたちも相変わらず元気いっぱい!「10年ほどかけて、ここの子たちもやっとまともな服を着るようになってきた。」そんな話もしてくれました。 この子と同じような口元をした子を、僕もフィリピンで2度ほど見かけたことがあります。この一種の病気、病院に行けば無料で治せるそうなんです。じゃあ、何で治さないの?僕も初めは疑問に思いました。 でも、治せないんです。その理由は、ただ一つ。 この子がここに『存在』しているという証明がないからです。 子どもたちは学校に行ったり、行ってなかったり。行かない理由は、自分自身がサボったり、親が行かせないといったパターンもあります。親自身も、十分な教育を受けていないため、その重要性さえ分かりません。子どもたちの「学び」を変えて行くためには、一筋縄ではいかないな…と改めて痛感しました。親も変えていかなければいけません。 この地区の子どもたちとシャボン玉や紙飛行機で遊んだあと、リコーダーを届けました!使い方なんて詳しくはわからない。でも、とにかくひたすらにピーピーピーピー!!!! しばらくの間、子どもたちオリジナルの大合奏が響き渡りました。
12月27日に日本〓〓を出発。韓国〓〓でトランジットした後、12月28日の1:00ごろにフィリピン〓〓に到着! 朝まで空港泊。朝8:00にゲストハウスへチェックイン!その日は、疲れをとるためにゆっくりしていました。 12月29日(活動1日目)1日ガイドを付け、ロレガとgun-obへ行ってきました!ロレガは、墓場のスラム街で、セブ島最大規模の最貧困地区とも言われています。また、セブ島で最も危険といった情報も。(興味がある方は、調べて見てください)ガイドブックで紹介されるような場所でもなく、地元の人でも足を踏み入れたり、ましてや観光などで訪れるべきではありません。 ですが、今このロレガに世界から支援の手が差し伸べられています。また、そんなロレガで、ボランティアの受け入れを行なったり、人々を取りまとめ活動を行なっている1人の牧師がいます。デイビスです。 この日も、ロレガに住む若者を数人集め、聖書に触れる儀式のようなものを行なっていました!(特に時期的なもの) 毎週、土曜日には子どもたちにアクティビティを提供も。 ボランティア団体で知り合った代表を通じて、デイビスにアポイントを取ってもらえていたので、話をする事が出来ました! デイビスも昔はギャングの1人でした。ドラッグに手を出し、銃を手にしていたそうです。「今、ドラッグをやめて良かったと思う?」と聞くと、「もちろん良かった。あのころ、良いことなんてひとつもなかった。」と話してくれました。 そして、ロレガに住む子どもたちは、貧困により学校にも行けていません。親がそうだったから、子ども…と言ったように、フィリピンのシステムのようなものであるといった話も。 デイビス自身は、「学ぶことが大切だと思う」と話してくれました。その後、彼が話したことがとても印象的です。「今の仕事は、ここ(アクティビティなどをする場所)のドアを開けるだけ。あとは子どもたち(自分)次第だよ。」 子どもたちの教育を変えるためには、親も変えないといけない。どこかで変化を与えなければ、同じことを繰り返すだけ。そして「学ぶ」必要性や楽しさを、もっともっと伝えていかなければいけないとも、強く感じました。 2017年度のアクティビティはもう終了していましたが、デイビスに『えんとつ町のプペル』2冊とリコーダー30本を届けて来ました!また、来年度からのアクティビティで子どもたちの手にも渡ると思います。(デイビスの子どもがリコーダー吹けるそうです。) デイビスに会った帰り道に、出会った子どもたち。確かに危険な地ではあるけれど、子どもたちの純粋な笑顔もたくさん溢れかえっています。 →next.活動報告2
現在、支援に向けて渡航中の詳細な活動を計画しています。 リコーダーも1本購入してみました!多くの子どもたちの手に渡るために、安価で良質な物を。吹いてみると、音もしっかり出ていました! 一番の問題は、どう届けるか。もちろん個人で足を運べるような場所もあれば、現地の人でも簡単には足を運ばないような場所もあります。それは、"危険が潜んでいる"という、事実があるからです。 また、特にスラムと呼ばれるような場所には住所(番地)といったものがないそうです。例えば、フィリピン セブ島に「ロレガ」という場所があります。観光では、まず訪れることのないような場所です。そこも住所(番地)があるわけでなく「ロレガ」という所在地でしかありません。 今回の渡航では、1日現地ガイドをつける予定です。そのガイドの方とも入念に打ち合わせをしています! また、ボランティアでお世話になった団体の代表者とも連絡をとり、相談をしながら計画を進めています!現地の方にもアポイントをとってもらう予定です。 現在13名の方に、パトロンになっていただいています。本当に、ありがとうございます!残り日数は、12日。よろしくお願いします。