
先日、紅工房にご来店いただいたのは江戸時代に山形の紅花交易で財を成した豪商・堀米家の末裔、現在はベルギー在住のアーティストの方でした。
紅花は、飛鳥時代から宮中で重宝され染料として用いられてきました。平安時代の法典『延喜式』には、紅花の貢納に関する記録が残されています。当時、紅花の生産地として記されているのは伊賀や伊勢など、都に近い近畿圏でした。その後、紅花の栽培は各地へと広がります。
江戸時代には最上川流域の肥沃な土地と、京都へとつながる海路を背景に、山形の紅花は発展しました。最上川を下り、北前船を通じて京都へ運ばれます。
京の女性たちの唇を彩る紅や、装束を染める原料となりました。その紅色を生み出す工程で大切な役割を果たしてきたのが、奈良・月ヶ瀬で作られてきた烏梅です。
山形県河北町にある紅花資料館は、紅花商人として栄えた堀米家の屋敷跡です。堀米家は、江戸時代に紅花などの集荷・出荷によって財を成し豪商へと発展しました。紅花が山形の人々の暮らしを支え、交易によって地域が繁栄しました。その歴史につながる堀米家の末裔でアーティストのMichiko Van de Veldeさんは、ベルギーで日本茶を広める活動をされているtoridoriさんと共に紅花文化を伝える本を執筆中です。
今回のご縁の始まりは、toridoriさんの山形旅行。
旅の途中、たまたま開いていた染め工房『鈴正』さんを訪ねます。そこで教わったのが、紅花染めに欠かせない烏梅の存在と、今も作り続けているのが、奈良・月ヶ瀬にある梅古庵一軒だけだということでした。
その翌日、Michiko Van de Veldeさんが旧知の鈴正さんを訪問します。
「昨日、ベルギーからtoridoriさんという方が来られましたよ」
そんな話から、二人はベルギーで会い、紅花に関する本を一緒に執筆することになりました。
紅花染めに欠かせない烏梅は、最盛期には月ヶ瀬で製造所が約400軒もありました。明治時代に化学染料の発明によって需要が失われ、製造所は次々と閉鎖されます。
その中でも私の中西家には「天神さんをお祀りするつもりで、売れても売れなくても梅を焼け」という言葉が伝えられてきました。烏梅を作り続け、梅古庵一軒だけが残りました。
化学染めが発展し、古式の製法による紅花染めをされる方は少なくなりました。烏梅の売上もごくわずかなものでしたが、私はその中にも可能性を探し、作り続けるだけではなく烏梅の価値を高める必要があると考え活動を始めました。そして価値を高めながら販路を広げてきた今は道半ばです。今回お客様から率直な質問をされてびびりましたが、率直な質問をされないようにするのも私の役割だと思いましたw
江戸時代に紅花交易で栄えた山形と、南北朝時代から紅花染めを支えてきた月ヶ瀬の烏梅。山形の染め工房から繋がったベルギーとのご縁。お二人の紅花の本の完成を楽しみに待ちたいと思います。
Michiko Van de Veldeさんは京都市の便利堂ギャラリーにて3月まで個展を開催中です。
@michikovandevelde
@toridori_cha
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