ふるさと呉の郷土史をたどっていくとき、「海軍」や「工廠」は絶対です。
呉は、「帝国海軍第一ノ製造所」と位置付けられ、海軍鎮守府に付属する、
造船や造機(兵器含む)の工廠(工場)がありました。
初代呉本では、主に造船に触れました。
こんどの新刊は、飛行機に触れていきます。
呉の東側に「広」という町がありまして、こちらに「航空廠」がありました。
飛行機をつくったり、エンジンの研究をしたり、試飛行したりと、「空」専門。
ここに15、16歳の乙女時代を捧げたおばさま方、3人にインタビューしました。
写真は、そのうちのお一人が大事に保存されていた「賞状」です。
3人のおばさま方は、学徒動員でした。
学徒動員とは、学校に属していながら、戦争に関わる仕事に従事させられるものです。
若い女性が工廠で働いたとなると。
「ああ、女子挺身隊でしたか」。なんの疑問も挟まず聞かれるので、
「違うんですよ、学徒動員です」と、おばさま方はキッパリおっしゃいます。
学生の身分のまま戦争に駆り出されたのが、学徒動員。
本来は家のために働いたり、花嫁修業中だったりする女性を
手当たり次第に集めて戦争に従事させたのが、女子挺身隊。
どちらも、抗うことのできない「命令」でした。
ああ、あれね、あれでしょ? と。
知っている単語とかだけで当時を理解した気になっていやしまいか。
写真の賞状を見せてくださったおばさまは、学徒動員で、
生真面目な女学生だったそうです。目の前のことを一生懸命に勤め、それで、
賞状をもらったのだ、と。
「でもね、戦争に加担してもらった賞状じゃないですか。罪悪感があってね。
残してはいたけど、仕舞いこんだままだったの」。
すると、お友だちのおばさまが、「それは、わたしらが、生きた証よね」。
ああ、そうなのだ。
「そうよ、証よねえ、えかった、ほんなら取っておきましょう」。
おばさまたちの「生きた証」を、こんどはわたしたちが「生きて受け継ぐ」。
こうしたオーラルヒストリー、大事な声を、ぜひ新刊で読んでくださいね。