昨年12月に行われた「三畏閣」最後の一般公開イベントの様子を公開しました!当日は、建物に思い入れのある地域の方も、当時利用していたOBの方も、初めて見たというようなお子さんも、80年分の歴史が漂うこの空間で、何か心に持ち帰っていただけるような良いイベントになったと思います。動画をご覧いただいている皆様に、少しでもこの空気を伝えられていれば嬉しいです。 そして昨日、ついに解体工事が始まりました。大広間の部分はすでになくなっており、一度工事が始まると建物はあっという間に姿を消してしまいます…。 今日は茶室部分の解体です。リターン用の部材確保は着々と進んでいますが、「三畏閣」最後の勇姿も「写真」と「文章」を使って残していこうと思います。
年明け早々、寒波襲来のなか有志が集まり、解体工事の合間を縫って、建具をレスキューし、引き取って参りました!解体の工程を調整頂いたり、工具を融通をしてくださったりとご協力いただいたデベロッパーさんや解体屋さんには本当に感謝です。引き戸の木製建具は、80年分の時間が積み重なった自然なエイジング具合で、人工的にはなし得ない、古さ美しさ(古美ている感じ)を感じました。 また、ガラス交換のために細工された取り外し可能な接合部などにも、質実剛健な意匠の中に繊細な手仕事が見て取れました。トラック2台分の100枚以上の建具は、様々なご厚意によって整理保管されています。ご希望頂いている方々への引き継ぎ(順次ご連絡を差し上げますので、もうしばらくお待ちください。)や、我々が企画しているハコザキの街での企画に活用させて頂く予定です。 そして本日より、屋根瓦をおろしたりといった本格的な解体へと進んでいくことになります、、、建具が取り外された空間は、解体を待つ寂しさを感じますが、一方では、柱梁で構成された日本建築の美しさや建物の内部と外部を縁を介して繋がることができる空間の連続性、それを実現する建具の可変性を見て取ることができます。 あとは、工事の方の手によって、記念プロダクトのための柱材、茶道部OBの皆さんへ引き継ぐための垂木材、を解体の進捗に合わせて順次レスキューしていきます。(隣では着々とRC造の職員住宅の解体が進んでいます。)
完成当時の三畏閣の様子です。(昭和12年竣工) ただいま九大箱崎キャンパスの図書館で見ることができます。 こちらは昭和2年の九大箱崎キャンパスの農学部。 周りは松林に囲まれていて、現在の住宅地とまったく違います。 当時は金印で知られる志賀島が見えたそうですよ。 現在の箱崎キャンパス周辺。右下あたりが九大です。 埋め立てられ埠頭もできたことでキャンパスから海が遠のきました。 キャンパス内には当時の様子を知るものとして松原の松が一部残っています。 そして三畏閣にも。
12月13日木曜、三畏閣の仮囲いが始まりました。 木々の伐採も終わり、数日のうちには囲いに覆われてしまいます。 80年間、九大生と地域の交流の場となった場所。また茶室は、福岡市内で昭和11年の友泉亭に続く昭和12年、2番目に古い茶室ではないかといわれています。 隣は九大職員のために立てられた宿舎ですが、こちらも合わせて解体です。 喜んで解体に賛成する人はいなく、歴史的資源をうまく活用できることにこしたことはないのですが、経済的に解決できない問題がある以上残念な限りです。 クラウドファンディングでは、解体までの記録を映像としてしっかり保存します。
12月2日と3日、二日間にかけて、三畏閣の一般公開が開催されました。スケジュールのないなか中で直前の告知にも関わらず、述べ200名近くの方々が来られました。思い出深い様子で名残惜しそうにされていたり、やっと初めて入ることができた、と、喜ばれていたり、様々でしたが、長い時間留まる方が多かったようです。子どもさん連れも多く見られましたが、ここに住みたい、と言っていたりとか、縁側を気に入っていたり、とか、小さな子にも、日本建築の居心地の良さはしっかりと伝わっていたようです。これでお別れというのも、改めて寂しい限りですが、部材の引き取りなどを通じて、少しでも思い出を引き継いでいくことができそうですので、どうぞご希望の方は、ご連絡を頂ければ幸いです。