寿町に伝わるあたたかいお話を絵本にして伝えたい!

日本三大ドヤ街とよばれる横浜市中区寿町は現在は福祉のまちだと言われていますが、若い世代や新しい住民も行き来するようになりました。その寿町には生きるための大切な知恵がたくさんつまっています。そんな寿町に伝わるあたたかい話を絵本にして伝えていきたいと考えています。

現在の支援総額

318,000

106%

目標金額は300,000円

支援者数

44

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2022/01/18に募集を開始し、 44人の支援により 318,000円の資金を集め、 2022/02/13に募集を終了しました

寿町に伝わるあたたかいお話を絵本にして伝えたい!

現在の支援総額

318,000

106%達成

終了

目標金額300,000

支援者数44

このプロジェクトは、2022/01/18に募集を開始し、 44人の支援により 318,000円の資金を集め、 2022/02/13に募集を終了しました

日本三大ドヤ街とよばれる横浜市中区寿町は現在は福祉のまちだと言われていますが、若い世代や新しい住民も行き来するようになりました。その寿町には生きるための大切な知恵がたくさんつまっています。そんな寿町に伝わるあたたかい話を絵本にして伝えていきたいと考えています。

エンタメ領域特化型クラファン

手数料0円から実施可能。 企画からリターン配送まで、すべてお任せのプランもあります!

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

2011年、新しくできた寿公園の倉庫にキャラクターを貼る。というお仕事がきっかけで、そこから寿町の方の声に耳を傾ける作業が始まりました。公園に来ているおじさんたちに、公園ができてどうかと、公園に通って聞き始めました。トップの写真が寿公園です。(撮影:川名マッキー)それから、周辺の支援者、施設の方にも話をきいて、結果、「コトブキンちゃん」をつくりました。公園の倉庫に貼る話は難しくなったので、街中の10箇所くらいにコトブキンちゃんを貼りました。仕事が終わったので、一度寿町を離れましたが、いつのまにか、コトブキンちゃんがたくさんの人たちとお話をしていました。それから約1年後、また新しくコトブキンちゃんを貼ってほしいというお話から、寿町でお仕事をいただくようになり、多くの方々と対話することが増えました。それでも、支援者側とお話することが多く、思いがあっても言葉にすることができない住民さんも多いので、リラックスした状態で対話ができる場を自分なりに模索してきました。ある時は、炊き出しの法律相談の机の横に座って、似顔絵を書きながら、その人の得意なことや、やってみたいことをきく。ということをしてみました。今回は、絵本制作にあたり、ご住職のお話の中に出てくる出来事を体験していた方にも当時の気持ちをききました。そして、現在の寿町の人たちはどんなことを思っているのかということを、ワークショップをしながらおしゃべりしました。よく、友達と学校の帰り道、話している時に、なぜか草をずっとむしってしまうとか、電話しながら意味不明ならくがきをしてしまうことがあるかと思いますが、あんまり難しくない作業をしながらだと、会話がはずむことがあります。そして、地域の福祉計画の一貫として、今後の寿町のことを考えるために、寿町の住民さんや働いている方にアンケートをとることを提案させていただきました。いわゆるアンケートというよりは、寿町内の学童保育や事業所さんが、そこに通っている人や住民さんと対話をしながら、一緒に寿町について考えるものです。ひとつのコミュニケーションツールとして活用していただくようなものになっています。まだ集計途中ですが、集まったものを集計しているときに、ストレートな言葉から、その人の思いを感じることができました。この絵本は鹿野融完ご住職の子どものときの体験が物語のベースになっていますが、当時の大人からの目線と、現在の寿町に住んでいる方の目線をミックスしたお話になります。ぜひ、絵本の完成を楽しみに待っていてください!


ついに、ご支援額が50%になりました!これで、最低限の絵本づくりができそうです!もう少し絵本をたくさんの方にシェアできるよう、引き続き応援をよろしくお願いします!さて、今回の活動ご報告では、リターンの中にある「読み聞かせDVD」をきっかけにたくさんの学びを得ていることをお知らせします。今回、読み聞かせを担当していただくのは、2019年に、寿町健康福祉交流センターで行われた、寿町の住人さんや働いている人と演劇をつくり公演した木暮寿子さんです。人の良さが滲み出ていますね!↑↑↑私は、この演劇がきっかけで木暮さんと出会い、演劇の舞台美術をさせていただきました。トップの写真がそうです。私は、この演劇の稽古が行われているかたわらで、お祭りの山車をせっせとつくっていました。舞台美術をさせていただくこともあり、時々、稽古を拝見していました。木暮さんと寿町の方々とのあたたかい場に、私も参加できてうれしかったです。普段はアルコール依存症の傾向があり、予定通りに行動できないような方も、演劇に参加することで、身だしなみをきれいにしたり、楽しみに早い時間から待っていたりする様子を拝見していて、参加者がいきいきしていて、元気をいただきました。この後、木暮さんとは、私が以前から関わっていた中高生が主体の展覧会でもお会いすることになります。その中で、木暮さんが読み聞かせをしている。という話もきいていて、今回ふっと木暮さんのことが頭に浮かび、読み聞かせをお願いすると、快く承諾してくださいました。すると、「0歳から読み聞かせできるよ。」とぼそっとつぶやいたのが気になって、どういうことなのか後ほどまたお電話でお話をききました。私も、教育学部を卒業していて、発達心理学は学びましたので、その記憶を辿りながら木暮さんのお話をきいていました。発達の過程において、0歳児が集中できる色や形、表現についてお話をきくことができました。これについては、目からウロコで、本当の意味で子どもたちに絵本を浸透させるには、気をつけなければいけないことがたくさん出てきました。絵本のお話はまとめていましたが、0歳児も網羅することを考えて、もう一度絵本の内容を組み直しました。たくさんのメッセージを最初は書いていましたが、なるべくけずってけずって、子どもにも伝わる表現を模索しています。かえって、この、大量の情報とメッセージをシンプルにしていく作業は、私がやってきた現代美術の理論と技術を最大限に使うところだと思いました。何度も何度も見返しています。引き続き、制作を頑張ってまいりますので、みなさん、よろしくお願いします!


絵本のタイトル、「泣き虫小坊主さんとおじぞうさん」の「泣き虫小坊主さん」のモデルであり、前回の活動報告でご紹介させていただいた横浜市青葉区徳恩寺のご住職・鹿野融完さんについて書きたいと思います。今回の絵本制作についてもご承諾いただき、応援してくださっていて、とても感謝しています。お忙しいなか、ちょっとした隙間とタイミングをみて、お話をさせていただいたので、うっかり写真を撮り忘れていまして、似顔絵を描いてみましたが、あまり似ていないかもしれません。わたしが、鹿野融完さんを拝見したのは、前回の活動報告に書きました、「ことぶき福祉作業所」とのご縁からでした。ことぶき福祉作業所に通う方々も身寄りのがない方が多く、お亡くなりになると、鹿野融完さんが遠い青葉区から車を走らせてきてお経をあげてくださっていました。寿町の中では、亡くなられたときに、遺影もないことが多いのですが、ことぶき福祉作業所では、その方の誕生日のたびに最高の笑顔の写真を撮影し、それが遺影になるので、みなさんとてもいい顔をされています。しかしながら、私の鹿野さんの第一印象は、淡々とお経をあげて帰る人という感じで、感情が顔に出ないイメージがありました。その後、私が今でも毎月参加している「ことぶきゆめ会議」で、鹿野融完さんにお話していただこうということになり、初めて、寿町のおじぞうさんができた経緯を知りました。コトブキンちゃんがゆめ会議について説明してくれています。私の印象のとおり、鹿野融完さんは淡々と語り始めましたが、クライマックスになると、自分自身も涙を流しながら話し始めました。私は、鼻水がずるずる出るほど感動して号泣してしまいました。隣の席に座っている人も、一緒に泣きました。また、別の機会に、鹿野融完さんが、横浜開講記念会館の講堂でお話をすることになり、それもききに行きましたが、やっぱり同じ所で、同じように鹿野融完さんは涙を流し、私もまた一緒に泣いてしまいました。何度もきいているのに不思議です。わたしは、このお話を今回絵本にしようと思い、それをお伝えすると、また完極まって涙を流されていました。泣き虫小坊主さんは、大人になっても泣き虫なのです。そんな鹿野融完さんの活動をとてもわかりやすく紹介している「森ノオト」さんというサイトがありましたので、許可をいただきまして、リンクを貼らせていただきました。2012年の記事だということですが、ぜひご覧いただけますと幸いです。恩田の古刹・徳恩寺住職の鹿野融完さんです!


「コトブキンちゃん49話」この漫画は、以前、横浜市の中心部の路上生活者の方々に配布していたものです。身寄りのない方、何かしらの事情があって家族のもとに帰ることができない方、様々な方が不安に思っていることのひとつに、「ひとりで死んでいくこと」があります。これは、寿町の方に限らず多くの方が不安に感じることかもしれません。近年では、お墓を代々守る感覚も薄れてきて、墓じまいをしたり、海などに散布されている方もあるかと思います。しかし、私が寿町でお世話になっている、通称(私が勝手によんでいます)ゴッドマザーは、「身寄りのない人でも、生きているうちに誰かとご縁ができて必ず手をあわせたい人はいる。」と言います。そのための拠り所が必要なのです。私が、それを目の当たりにしたのは、2013年頃、ゴッドマザーにお誘いいただき、「ことぶき福祉作業所」に非常勤で働き始めた頃です。写真:川名マッキー(竹本真紀著「トビヲちゃんがみたまち」より引用)この作業所には、寿町で生まれ育った方や寿町に長く住んでいる方がいらっしゃって、寿町の行事を大切にしている方が作業をしにきていました。年に二度、春と秋のお彼岸のときに、マイクロバスで地域の方と一緒に青葉区の徳恩寺にある「千秋の丘」にお墓参りにいきます。千秋の丘から見える風景です。ことぶき福祉作業所を退職したあとも、ほぼ毎年、お墓参りに参加させていただいています。この秋にも行ってきました。ここには、寿町や路上で亡くなられた方、東京の山谷で亡くなられた方も、眠っています。このお墓ができたいきさつも、寿町のあたたかいお話があります。私は、このお墓参りに来て、とても驚いたことがあります。住民の方々がこのお墓を大切にしている様が、非常に尊かったのです。私自身は、実家のお墓参りは好きな方ですが、自分の家のお墓でもこんなに大切にするかなあ。というくらい、みんなで手厚くお掃除をしたり手入れをしたりするのです。この千秋の丘まで寿町のみなさんは来ることができないので、いつでも寿町にはお地蔵さんが見守っているのです。こちらは、今の建物に建て替わる前の、私が初めて出会った頃のお地蔵さんです。


新しいアイデアや挑戦を、アプリで見つけるcampfireにアプリが登場しました!
App Storeからダウンロード Google Playで手に入れよう
スマートフォンでQRコードを読み取って、アプリをダウンロード!