2022/02/12 07:00

こんにちは、PLANETS編集部の徳田です。いよいよこのクラウドファンディングも残すところ8日、制作も大詰めです。

いくつかの媒体でお伝えしてきた通り、『モノノメ #2』は「身体」を特集します。今までの活動報告でも、乙武洋匡さんが最新鋭のロボット義足を装着して歩けるようにすることを目指す「OTOTAKE PROJECT」の取材や、舞踏家の最上和子さんと映像作家の飯田将茂さんによるライブパフォーマンスプロジェクト『もうひとつの眼 / もうひとつの身体』をめぐっての両者の対談など、「身体」にまつわる記事を紹介してきました。

今回紹介する、宗教学研究者の藤井修平さんによる論考「マインドフルネスの身体技法はいかに受容されてきたか──仏教と心理学の関わりの歴史から考える」も、今号の特集記事の一つ。近年耳にすることが多くなった「マインドフルネス」について、いかにして現在のような受け取られ方をするに至ったのか、身体技法(具体的には瞑想)の扱われ方を軸にして論じていただきました。



いま僕たちが「マインドフルネス」と言うとき、認知療法の一環だったりGoogleやAppleなんかが社員の集中力・生産性向上のために取り入れたプログラムだったりを指すことがほとんどです。本来は主に仏教の身体技法だったものが姿を変えたもので、この変化の過程には20世紀後半のアメリカでの「禅ブーム」、ニューエイジ思想との合流から日本国内での自己啓発としての利用などがあるわけですが、あまりきちんと論じられることのなかったこのあたりの歴史的な脈絡が、本稿では体系的に述べられています。

単にマインドフルネスの実践方法とその効用を紹介するだけにとどまらず、「そもそもマインドフルネスの正体とは何なのか」について明確に論じられていて、とても刺激的な内容でした。

一方で、現代みられるマインドフルネスや瞑想の実利的な扱われ方については、批判的な意見も存在します。本来は悟りを開くことを目的として、要は「我」への執着を捨て去ることを目指すはずのものだったのにもかかわらず、最近のIT長者などの間でのブームでは、自身の精神的健康や個人の能力開発として、むしろ「エゴ」を強化するものとして使われている面があるためです。

こうした視点からの保守的な批判ももちろん本稿では紹介されるのですが、この論考の目的はどちらの立場がよいかを述べることにはなく、むしろ両者(宗教と科学)の融合がそれぞれの形を変えていく、その過程を示すことにあります。

宗教的身体儀礼が、現代の(実利的側面を取り入れた)「マインドフルネス」として定着するまで──その移り変わりを知ることで「身体を動かすこと」の意味が時代時代で変わっていくことのダイナミズムを感じます。「身体」という身近な(?)ものから大きな文化史を捉えるきっかけとして、ぜひ読んでいただきたいと思っています。


『モノノメ #2』のクラウドファンディングはこちらにて実施中です。