取締役 / 渉外・会計責任者 &経営アドバイザー 田村淳一 和歌山県出身。2009年、新卒で株式会社リクルートに入社(後に分社化に伴い株式会社リクルート住まいカンパニーへ)。新規事業の収益化と拡大、地場大手不動産仲介会社へ広告を軸とした経営コンサルティングを担当。2016年、株式会社Next Commonsの創業メンバーとして参画。また、一般社団法人Next Commons Labで他地域での立ち上げ支援も行っている。 ============================= 私はNextCommonsLabというプロジェクトを立ち上げるため、7年勤めた会社を辞め、2016年6月から遠野に拠点を移しました。今でも「どうして大企業を辞めて地方に飛び込んだのか」と聞かれます。ここではそのあたりの経緯について少し書かせていただければと思います。 なぜ挑戦の場として「地方」を選んだのかというのは、私のルーツに関係しています。私は、和歌山県の大塔村という小さな村で生まれました。今は市町村合併で田辺市になっていますが、当時の村の人口は3000人くらいだったと記憶しています。そんな田舎で生まれ育った私の小学生時代の将来の夢は「コンビニの店長」でした。隣の大きな町で見たコンビニを自分の村でオープンできれば、村の人たちの生活がもっと便利になるはずだと少年田村は確信したのでしょう。 ※和歌山県旧大塔村の風景 実家から撮影 地元は大学進学のため離れました。大学では法学部を選び、法律相談部というお堅いサークルにも入り、一般の方のお金にまつわる相談(債権回収・借金整理・悪徳商法などが担当でした)を受けていました。一方で、アルバイトでバーテンダーとして3年間働き、昼は法律相談、夜は人生相談を聞くという、ちょっと変わった大学生活を満喫しました。 就職活動のとき、東京に行ったり、色々な仕事をされている社会人の方にお話を聞いたのですが、あまりしっくりくるものはありませんでした。そんな時、ふと思い出したのは、小さい頃の「コンビニの店長」という夢。やっぱり自分は田舎生まれで、どこで仕事がしたいかというと自分の生まれ育った村の様な地域や同じような地方かな、と。コンビニを経営したいわけではないけど、地域の人のためのビジネスがしたい。それをするためには、短期間で成長したいと思い、それが叶えられそうなリクルートだけを受けて無事に入社することができました。 リクルート時代は楽しい時期も、悔しい時期もありましたが、上司や仲間からたくさんのことを学ぶことができました。今の仕事にいきている新規事業の立ち上げや、営業、経営コンサルティングなどを経験できました。当初は3年で辞める予定が仕事が楽しく7年が経過してしまいましたが、そろそろ地域の仕事をしようかなと感じたタイミングで、NextCommonsLabの立ち上げのオファーをいただいて思い切って会社を辞めて遠野に飛び込みました。 恥ずかしながら、クラフトビールのことは遠野に来るまで正直それほど詳しくありませんでした。プロジェクトを設計し、袴田や太田を採用し、活動を続けて行く中でビールがもたらす可能性を感じ、ここにコミットしようと決めました。地域の課題を解決しながらも、ビールというものを介してみんなが夢を描き、仲間を増やし、新しいことに取り組んでいけるというのが本当に楽しいです。 今は遠野のビールプロジェクトにコミットしながら、全国に展開しているNextCommonsLabの他地域の立ち上げや運用にも関わっています。これは、地域で仕事がしたい、それを生業にする自分の可能性を広げたいという理由と、仕組みを設計するにしても現場が分かっている人でありたいという考えからです。 遠野での私は、コミュニティブルワリーの実現に向かう袴田と太田を後ろから支えながら、ビールの里というグランドデザインを描き、それを実現するプロセスをつくっていく役割です。遠野醸造がはじまると、その場はビールの里構想の起点になるはずです。まだまだやりたいことはたくさんありすぎて、時には夢みたいなことを語ってメンバーにも笑われてしまうこともありますが、私は必ず実現させます。仲間がいるから大丈夫。 このクラウドファンディングをきっかけに、遠野という場所から大きなチャレンジをする我々を応援していただけると嬉しいです。そして、この活動を全国のビール好きや地域で頑張る人たちと一緒に広げていきたいです。それが、日本のビール文化の醸成に向けての一歩になっていくはずだと私は信じています。
本日は醸造タンクの搬入日でした。遠野市内や北上から応援にかけつけてくれたメンバーとともに、トラックから一つ一つ運び込みました。 200kg近いタンクを大人6人掛かりで持ち上げます。これがなかなかの重労働。先日塗った床をなるべく傷つけないよう、慎重に運びました。 実際にタンクを入れてみると、いよいよ醸造所らしくなってきました。これからタンクの配管を一つずつ繋いでいき、微調整をかけていきます。大きなプラモデルを組み立てるような感覚です笑。 明日はプレハブ冷蔵庫の組み立てです。どんな醸造所になるか楽しみにしていて下さい!
昨日はDIYで、醸造所の床と壁を塗りました。「自分たちでできることは自分たちでやる!」これが我々のモットーです。こちらは作業前の写真です。 醸造所の床は撥水効果を高めるため、エポキシ樹脂を塗ります。シンナーのような匂いがして、塗っているだけで頭がクラクラしてきました。 そして仕上がりがこちら。 だいぶ醸造所っぽくなりました!通常であればそのまま一晩放置しておけば塗料が固まるのですが、-10℃近くまで下がる遠野ではなかなか塗料が固まらず・・・。昨日はメンバーが泊まり込みで、夜通し暖房をたいて床を乾かしました。 たくさん失敗しましたが、一歩ずつ着実に前進しています。 いよいよ明日は醸造設備の搬入です。それまでにしっかりと床が乾いてくれると良いのですが、、、。
2/10(土)に岩手わかすゼミの皆様のご協力のもと、仙台で遠野クラフトビアナイトを開催しました!クラフトビールの多様性と楽しさを伝えるべく、これまで計6回遠野で開催されてきたクラフトビアナイトですが、今回は初めての県外開催! お昼の0次会、夜の1次会ともに満席、大盛況でした。札幌から、栃木から、遠方からもお越しいただいた方がいたり、遠野のクラフトビアナイトの常連の方もまさかの参戦!嬉しかったです。 開場と共にビールを注ぎ、ビールを飲みながら私たちの活動についてお話することができました。 次回は私たちが作ったビールを持ち込んで乾杯したいなと思っています。
代表取締役 / 醸造責任者 太田睦(おおたむつみ)大阪府出身。数理工学専攻の工学博士。NEC、パイオニアなどで研究職や開発職を32年間勤めた。主な仕事はテレビ信号符号化方式を定めた国際規格MPEGへの参加、そしてプラズマテレビの開発など。 ============================= 会社員時代は面白く仕事をしていたと思います。その時代々々でホットな技術の研究開発に携わることが出来ましたし、それらの技術は世の中に貢献するものだったと考えています。ただ、どんな技術だったのかを説明しても長くなるだけだし、ビールの話とも関係がないので割愛しましょう。ただ一つ言っておくと、私は人よりも早く会社員生活を終わらせました。会社員には定年という区切りがありますけれど、どうせ次の仕事を始めるなら早めの方が良いだろう。そう考えた私は56歳で早期退職したのです。 退職後はしばらく国内外を旅行していました。フィリピンの孤児院で算数を教える手伝いだとか、タイの山岳民族のところで竹の家を作ったりしていたのですが、その中で一番大切な体験はボランティア活動で東チモールに行ったことです。大したことはしていません。隣国のオーストラリアから寄付された数十台の中古パソコンを立ち上げ直して高校にパソコン教室を作るだとか、学校の図書館の蔵書管理パソコンシステムを立ち上げるだとか、そんな仕事です。 その合間に、東チモールに来ている様々なNPOやそれに類する組織の人たちに会って話を聴きながら、「人のために働く」ということの意味を色々と考えさせられました。モノやサービスを寄贈するだけでは、本質的なところでその社会の役には立ちません。その社会の人たちがいきいきと暮していくための助力というのは、その社会にかなり踏み込んでいかないと意味をなさないのです。東チモールで、そのような事例をいっぱい見聞きしました。 私は会社員を辞めた後は、なんとなく「人のため、世のために働きたい」と考えていましたが、そのためには何をするべきなのか、何であれば自分のやりたいことと一致させることができるのか、それらを腰を入れて考える必要を感じながら帰国しました。 遠野に初めて来たのは2016年です。「全国床張り協会」のワークショップに参加するためでした。 ほとんど冗談のように聞こえる団体名ですが、古民家やオフィスの床張りをワークショップ形式でやって、素人でもできる床張り技術の普及に努めています。結構役に立つリノベーション技術ですから、私は会社員時代から参加していました。たまたま、その時のワークショップに使われた古民家の持ち主が林篤志さんという人で、彼はちょうどNextCommonsLabという組織を立ち上げる準備を進めている最中でした。休み時間などに雑談をしている中で、たまたまビールの話になり、ふと林さんが「太田さん、ビールを作る仕事をやってみるつもりはありますか?そういう人を募集する計画があるのですが」と聞いて来たのです。 ビールは元々好きでした。妻が単身赴任でアメリカに住んでいた時期には、遊びに行くとクラフトビールをよく飲んでいましたから、味にも親しんでいました。ただ「ビールを自分で作る」なんてことはその時は想像もしていなかったのですが、「そうか、ビールは飲むだけではなく、自分で作ってもいいんだ」と考え始めると胸のワクワク感が止まらなくなりました。しばらくすると林さんたちがNextCommonsLabという組織のメンバー公募を開始し、確かにそこにビールのプロジェクトもありました。採算の取れる事業をきっちりと立ち上げて、地域社会を盛り上げる。しかも、ビールを作ることでそれを実現する。とても魅力的な公募でしたから、迷わず応募し、運良く採用されました。 NextCommonsLabは地域起業(ローカルベンチャー)を支援する組織です。遠野では十のプロジェクトが設定され、採用されたメンバーが遠野に移住して起業に挑みます。ビールのプロジェクトではホップ栽培と醸造所(ブルワリー)の立ち上げを行うことになっており、私はまず醸造技術を身につけるところから始めました。袴田と二人で全国の30箇所近いブルワリーをめぐって、話を聞かせてもらいましたし、3箇所で研修を受けました。キリンビール株式会社からも様々な助言や指導を受けています。 アメリカでクラフトビールを飲んでいた時から考え始め、全国のブルワリーをめぐりながら確信を持ったことなのですが、ビールは人を快活にして人々のコミニュケーションを促進させる飲み物です。気取らず、気軽に飲めて、人と人の間の敷居を下げて幸福感を共有することができるそんな飲み物です。しかも、遠野はホップの産地。地元産のホップを使ったビールを、その地域内で作り、その地域の人たちが飲んで楽しむ。観光で訪れた人達に「これが遠野で作られたビールです」と差し出して楽しんでもらう。そのことで、少しだけかもしれないけれど遠野という町が元気になる。私はこのプロジェクトを、そういう仕事として捉えています。 実際のところ、遠野産で多品種のホップが本格生産させるのには数年かかりますから、それらを使った多彩なクラフトビールの本格的な醸造も少し先の話になります。しかし、そういう状態に向かっていくと意識しながら醸造所を運営しなくては、このプロジェクトの意義は萎みます。 技術担当の目標は、まずはまともなビールをつくること。その信頼を得た上で、「こんなビールを作って欲しい」という生産者、あるいは飲食店の依頼を受けられるようになること。そういう地域の依頼に応えられる「コミュニティー・ブルワリー」を作っていきたいのです。そうして、ビール作りを志す人たちが「遠野に行けばビール造りを学べるらしい」と知って集まり、多品種生産されている遠野のホップを使った新しいビール作りに挑戦できる場所になること。遠大な目標ですが、そういった地域社会への貢献を夢想している還暦間近の男です。