令和4年6月17日(大安):創建1200年祭に向け台風10号で被災した神社の復興を願い「七崎神社復興祈願祭」に於いて祝詞を唱える宮司。
創建1200年祭に向け復興を願い報道関係者を招き「七崎神社復興祈願祭」を執り行いました。ATV,RAB報道カメラマンの撮影の模様。
【希望の星☆大鳥居】再建に向けて「永久の会」スタッフの機運が高まったのは、令和4年2月7日に、七崎神社拝殿で執り行われた神事「おこもり」の際に、「神仏習合」当時から一千年以上に渡り、現在の七崎神社拝殿の位置にあった「七崎山徳楽寺聖観音菩薩本堂」(通称:七崎観音堂/様)ご本尊が、「炎と化し御神体を現わした!」ことで「御加護頂いていると確信!」したことによります。・・・南部藩主が奉納したご本尊の仏像と、全く、同じシェイプが燃え上がる炎と化し、出現したのです。
一千年も、先人達が繋いだ歴史を次世代に残したい!台風10号で被災した「希望の星☆大鳥居」再建へ!クラウドファンディング(CF)に挑む七崎神社保存「永久の会」!デーリー東北新聞社の本日の記事内容です。(その1)
【七崎姫の伝説】とは南都の四条中納言藤原諸江の娘 昔、八太郎(蓮沼)に大蛇が住んでおり、毎年美しい娘を捧げなければならなかった。今年はある村の長者の一人娘と定まっていた。都から流されてきた藤原諸江卿の娘の「七崎姫」がこの話を聞き、一巻のお経と、刀を持って身代わりになるという。村人は嘆き悲しみながらも、姫を神輿に乗せて沼のほとりまで運び、祭壇をしつらえ、姫を残して立ち去った。 すると、真夜中、真っ暗な沼の中ほどの水が大きく割れ、ものすごい風と轟音を立てながら「沼の主の大蛇」が現れて姫を引き込もうとした。しかし、姫が一心に念ずる経文の呪力にさえぎられ果たせずに、水底に引き返す。これが幾度となく繰り返されるうち等々「沼の主の大蛇」は降参した。姫は、「今後、村人に祟りをしないように」と誓わせ、大蛇は「沼の守り神になる」と約束し沼底に去った。かつては、「七崎観音の例大祭の9月7日」には七崎観音堂(現七崎神社)から、八太郎の蓮沼神社までお神輿が運ばれる「御浜入りの行事」があった。それは、姫の没後にも毎年、「七崎姫」が沼の主と交わした約束を年に一度確かめるために行われたものだという。大蛇が悪さをしていないかと見に行っていた。馬に乗った供奉や神主に守られた御神輿等で行列を作り、長苗代を八太郎にかけて白木のお神輿を担いで通り、その後は高館の上にかかり、林のなかを蓮沼と北沼との間に下り、沼の向こうの市川通りを行って、北沼の中頃にあるオミギ沼(御神輿沼)に渡御しました。 八太郎の「昔はオミギ沼(御神輿沼)は北沼の中頃にあった」へ「お浜入り」したと伝えられている。明治に入ると神仏分離となり、この行事もすたれ、村人も行かなくなった。その後ある日、村人が行くと、「う~ん、う~ん」とうなる石があったので、七崎神社に運んだ。すると、うならなくなったといわれています。この石は「八太郎の唸り(うなり)石」と呼ばれ、現在でも七崎神社にあります。