クラウドファンディング終了まで残り7日となりました!そして、世間では学生さん達も夏休みが始まり、コロナ感染者が増えている影響はあるものの感染対策をして遊びに行く人も多いかと思います。皆さんは夏と言えば山と海、どちらに遊びに行くのが好きですか?山は避暑地に温泉、川遊びにキャンプ♪海は海水浴に夜は花火・釣り、いや砂浜にサマーベットを置いて(ビール飲んで)寝てるだけでもいいですよね♪私は実家が海まで歩いて5分くらいの生まれも育ちも海の近くの人間なので、1ヶ月くらい海を見ていないと何か元気がなくなって来ます(笑)写真はずいぶん前に撮った西予市のお隣・八幡浜市の海ですが、宇和近海は水がすっごくキレイです!そりゃあこんなところで獲れる魚は美味しいに決まってますよね♪残り一週間、どうか引き続き温かい目で見守っていただけるようよろしくお願いします!
活動報告、もう書く事ないよ!なんて事はおしゃべりの僕には全然無く(笑)今日も懲りずに書いていきます!クラウドファンディング終了まであと8日です!最後の最後まで発信し続けます!今日は、宇都宮酒造の歴史について簡単にですが触れて行きたいと思います。宇都宮酒造株式会社は、今から112年前の明治43年(1910年)に野村町で誕生しましたが、創業すぐに宇和町鬼窪(現:卯之町)に移転し、酒造りを開始しました。当時、宇和町には造り酒屋が30軒以上あったとも言われており、実はうちの奥の蔵は近所で辞めようとしていた蔵元から譲ってもらったとの事です(蔵の下に車輪だとか丸太だとかを敷いて、人の手で引っ張って来たそうです!すごい!!)。創業者の宇都宮 寅治は田舎相撲の力士で四股名が「千鳥」であったと言われています。実は、酒の銘柄「千鳥」はこの名と、鬼窪の湿地が千鳥群れ飛ぶ地であったという二つの由来があります。二代目の宇都宮 俊六は昭和10年に蔵元となるのですが、就任後わずか2年で41歳の時に病気になり他界、当時18歳であった宇都宮 園行が三代目蔵元として継承しました。この三代目体制の時は、とにかく勢いがあったようで、南予では「千鳥」を知らない人はいないのではないかというくらい有名になり(実際、松山の人でも、話した時に千鳥を知っている人もいました。)また三代目の園行は5町合併前の宇和町会議員を務めたりなどして親分肌の人だったようです。今でも、近くの居酒屋などで飲んでいる時にご一緒したご年配の方から「園行さんは俺たちの親分だった」と言われるくらいカリスマ的な人だったようです。四代目の宇都宮 繁明は、婿養子として宇都宮酒造の跡を継ぎ、坂村真民先生との関係性の中で今の「千鳥」の題字を揮毫いただいたり、赤色酵母を使ったピンク色の清酒を開発し、そのお酒がまるで花のような色をしているという事から司馬遼太郎先生に直筆の手紙を送り小説「花神」の名をいただくなどオーナー杜氏として商品開発に注力をしました。ここで気づきましたが、最初の一行目の書き出しの文が笑えるくらい書いてますね(笑)まだまだ書けるのですが、今日はこの辺にしておきます!引き続き頑張りますので応援お願いします!!m(_ _)m
今日は暑すぎますね!仕事柄、毎朝まずは天気予報を見るのですが、ここのところずっと曇りや雨の予報なのに毎日晴れています・・・雨が降ると蔵の老朽化している部分が気になるので天気予報に振り回されて本当に心労が絶えません。クラファンが終わって修繕工事が始まる前に壊れてしまうのでは、と心配する毎日です(笑)さぁ泣いても笑っても残すところあと9日!まだまだ支援は受け付けております!!どうか私たちにもう一段レベルアップした美味しいお酒を造らせて下さい!!皆様のご支援が宇都宮酒造・創業112年の歴史を守る事とこの先の未来につながります!!何卒よろしくお願いします!
クラウドファンディング終了まであと10日となりました。今日は蔵のある西予市についてお話しようと思います。西予市は愛媛県の中南部、いわゆる南予地方に位置するのですが、実はもとは5つの町が合併して出来た市です。面白い事に山間部の城川町・野村町、盆地の宇和町、海辺の明浜町・三瓶町と、海から山まで全ての自然が揃っているところなのです!だから、何と言っても食べ物がおいしい(笑)宇和町は標高200mくらいの比較的高地にあるにも関わらず、明浜の水産会社が車で毎日獲れたての海産物を売りに来るなど、新鮮な魚介類が食べられます。それだけでなく、以前の記事で書いたようにお米、その他にも新鮮な野菜・山菜、みかん・ぶどう・お茶などなど・・・挙げ続けたらキリがないのですが(笑)山の幸も旬な食材が豊富にあります♪そして、愛媛県の料理の味付けは基本的に甘口で、味噌も醤油も甘めなので、鯛など白身魚の淡白な味付けにすっごく合うのです!私は愛媛に来る前は仙台にいたので東北の塩気の強い味付けの料理が大好きでしたので、来たばかりの時は少し驚きましたが、今ではもう甘口の料理とお酒の組み合わせがたまらなく好きになりました(笑)皆さんも是非食べてみて下さいね♪
今回造ろうとしているお酒「大和楽」。その言葉をいただいた坂村真民先生は、毎日夜中0時に起床し、愛媛県砥部町の「たんぽぽ堂」と名付けた自宅から重信川まで夜明け近くまで歩き川のほとりで地球に祈りを捧げ、そのあとに創作活動をするという自分を厳しく律した生活を課していたそうです。ある時、四代目社長・宇都宮繁明が「どうしてそんなに固い意思で自分を律する事ができるのですか」と聞くと真民先生は「断定の意思です」と答えられたそうです。「断定の意思」とは、自分の中でこうしなければいけないと断定して、それを守る事ということです。そんな坂村真民先生は朴(ほお)の花が大好きという事で、繁明社長も参加した(確か・・・と言ってましたが)第五回 朴(ほお)の会の時に朴(ほお)の花びらに当時の「大和楽」を注いで飲み交わしたという素敵なエピソードも聞きました!ちなみに先日の活動報告でも紹介した千鳥酒造場の看板も朴(ほお)の木らしいです。写真:坂村真民記念館より転載