こんにちは つむらです
今日からここ活動報告を利用して、原始感覚美術祭参加アーティストからの意気込みをお伝えしていきます。
最初は、中村綾花さんです。 帽子を作ったり土器をこねたりパンを焼いたりする人で、なにより私が原始感覚に参加する大きなきっかけとなった大切なおもしろい人です。それではどうぞ
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わたしは土や植物、動物と共にある農の暮らしを長いあいだしてきました。『アートの世界』とはまるで関わりなく生きていましたが、いま美術に関わり制作を日々おこなうようになって、常にゆれうごき続ける存在と向き合いながら手をうごかすこと、農と美術って隔たりがないんだなと、もっと言うと生活することと美術って同じところにあるなって感じています。
日本人のもつ、草木や岩、森羅万象に神の宿る八百万の神々に象徴された根源的な自然崇拝の感覚は、あまりにもわたしたちのなかにあたりまえに深く根ざしていて、もはや信仰という感覚もないほどに脈々と受け継がれ存在しているものになっているような気がします。そのことと同じように美術と呼ばれているものは、わたしたちのなかにすでにあるもののことなんじゃないかしらって。
ちいさなころの、みずたまりにどうしようもなく吸い寄せられることや、くるくると踊り跳ねまわったり、叩いて音を出したり歌ったり、泥だんごをピカピカに磨きあげたり、庭にひたすら穴を掘ったり、虫をあつめたり、草花を編んで身に纏ったり、雨のしずくや草の汁をあつめて魔法のくすりをつくったり。ポケットの中にはお気に入りの石やどんぐり、そんな体験に誰しも覚えがあるのではないでしょうか。
それは身体の記憶の奥深くに知らずと刻まれている生きるための術やねむっているよろこびが、どうしようもなく普遍的に現れるかたちなのではないかとおもいます。
いま慌しい日常のなかで、そういったものたちから離れすぎてしまうことのあやうさを感じています。それは根源的に生命のもつ、生きるという渇望からはなれることに繋がっているように思えて。
原始感覚美術祭は木崎湖という湖のほとりを中心に開催されます。雄々しい北アルプスの山々にかこまれた"大きなみずたまり"にふれて、たちあがってくる表現に呼吸をあわせてみてください。身体の記憶の奥深くに知らずと刻まれた、わすれたことをおもいだすような感覚がそこにはみつかるようにおもうから。
中村綾花