十三年間の感謝と決意世嬉の一酒造拝啓 岩手では渡り鳥が北に向かい、地面からは蕗の薹が芽を出しております。寒暖差が激しい年ですが、日々春が近づいてくるのを肌で感じております。皆様の地域はいかがでしょうか。東日本大震災から13年がたちました。あの日も雪が風に舞っていた中、中庭でスタッフとお客様の安否確認したことを思い出されます。一時は暗闇に投げ出された中、皆様から多くのご支援いただき世嬉の一酒造は復活できました。そして今は新しい挑戦を行えるようになりました。新しい挑戦とは、念願だったこの敷地内で酒の醸造を復活させるということです。新しい酒造りに挑戦しております。また、若いスタッフも入社し、新商品開発を行い、お客様にご提案できるようになりました。例えば、酒粕でつくったマヨネーズ風ドレッシングや、家庭で解凍すれば搗きたてのお餅が食べられる新しい『餅の通販』、蒸留酒ジンやジンソーダ、クラフトコーラの開発などです。 さらに、ここ数年は、皆様から頂いた恩を次に送る「恩送り」にも力をいれております。恩送りとは、当社にゆかりのある作家井上ひさし先生に教えていただいた言葉です。いただいた多くの恩を次の方に少しでもお送りするということです。昨年から、ウクライナの方々、トルコの方々、そして今年は能登で被災された方々に微力ですが『恩送りプロジェクト』として寄付を行うことができました。特に能登の方々には13年前の私達と同じような境遇におられると思います。今はなかなか前を向くことが難しい状況かもしれませんが、被災された方々が前を向けるよう、私達ができることをお手伝いしたいと思います。 私たちは世代が変わっても皆様からのご恩を忘れず、自社だけでなくスタッフ、その家族、地域がより良くなるよう日々チャレンジし続けます。皆様には今後ともご指導ご支援いただければ幸いです。 末筆となりますが、お客様のより素晴らしい人生になることを願っております。皆様にはいつも当社をご愛顧いただき本当にありがとうございます。敬具世嬉の一酒造株式会社代表取締役社長 佐藤 航令和6年 3月11日ご愛顧・ご支援いただいているお客様
決意 の付いた活動報告
いつもご支援いただいている皆様へ12年目の感謝と決意今年も震災のあった3.11がやってきました。12年前と異なり、今年は暖かい日差しが降り注ぎ、平和な日常を送っています。震災の日に震えていた長女も、震災の年に生まれた次女も、毎日楽しく学校に通っています。震災当日、東京に外販にでて帰宅困難者になったビール工場長も、いつも通り一生懸命ビール醸造をしています。レストランの仕入れに行ったまま避難した母は、今は引退して庭にくる雀をみて穏やかに過ごしています。まるであの日がなかったかのように、皆穏やかに過ごせています。 12年を振り返ると皆様に支えられながら、前ばかりを見て挑戦し続けた日々だったと思います。東日本震災、コロナ、福島宮城県沖地震と、自分ではコントロールできない困難が襲ってきても、いつも応援し、見守ってくださる人を感じていました。その感覚が私の背中を強く後押しし、前へ前へと進むことができました。 震災当時30代後半だった私も50代になり、世の中への視点も少し広がりました。地域、スタッフ、家族がより良くなるために、地方零細企業の経営者として、挑戦し続けていかなければいけないと思います。 その1つとして、今年は地酒復活プロジェクトとして、世嬉の一の敷地内での酒造りの再開に取り組みました。ちょうど3.11の今日、初しぼりが終わりました。40年ぶりの“世嬉の一”の地酒です。50代の新たな挑戦として杜氏を私が務めました。清酒醸造を様々な方々からご指導をいただきながら取り組んでいます。清酒業界は、斜陽産業として云われることもありますが、微力ながら世嬉の一は、地酒を守り発展させ、いわて蔵ビールと共に、地域の誇りになるよう努力し続けたいと思います。皆様には、いつも様々な場面でご支援、応援をいただいており、本当にありがとうございます。これからも皆様に当社の社名の由来「世の人々が嬉しくなる一番の酒造りを目指す」を実行していきます。今後も引き続き、何卒、宜しくお願いいたします。末筆になりますが、皆様と共に、より良い日常が過ごせることお祈りしております。追伸:震災時にある経営者から二宮金次郎の詩をいただきました。この詩を心に刻んですごしております。遠くをはかる者は富み近くをはかる者は貧すそれ遠きをはかる者は百年のために杉苗を植う。まして春まきて秋実る物においてをや。故に富有なり。 近くをはかる者は春植えて秋実る物をも尚遠しとして植えず唯眼前(ただがんぜん)の利に迷うてまかずして取り植えずして刈り取る事のみ眼につく故に貧窮す。この詩をみながら、私の時代だけでなく、子供や孫の世代にこの地域がより良くなることを想って、今日を過ごしていきたいと思います。