今朝、庭の草抜きをするために、物置を開けました。
目に入った段ボール箱。
「あ。N先生の資料。これも整理しないといけないなぁ。」
と、ふたを開けました。
「朝鮮人炭鉱労働」
と書いてある紙が載っています。
手に取り開くと、なんと!蜑住の地図が!!
赤い所が「新しい平和資料室」です。
緑の所が日炭高松の坑道(入口?)があったようです。
前にも書いたと思いますが、私が記憶している場所とほぼ一致します。
ゾワッとしました。「『蜑住』で土地を見つけたのには、大きな意味があるのかも・・・」
昨日、八幡の空襲を語り継ぐ活動をしている平野塾の「八文字カフェ」に参加させていただきました。(八幡空襲の体験者が集う、大変貴重な「場」です。)
昨日の参加者のKさんが、「捕虜」の話をされていました。
戦時中、アメリカ人捕虜、オランダ人捕虜の収容所が北九州にはありました。
ある日、水巻にあった高松炭鉱で働かされていた捕虜の一人が脱走。
結局、八幡西区の皇后崎の辺りで捕まり、今の共立大の辺りで「見せしめ」のために処刑されたというのです。
高松炭鉱で働かされていた捕虜は、十分な食事を与えられず、ガリガリに痩せた状態で過酷な労働に従事させられていたそうです。
Kさんが教えてくださいました。
「この時に、折尾に住んでいた方が、『捕虜の方がかわいそう』と言って、差し入れをしたことがあったそうです。」
人間性を失わせる「戦争」の中でも、人間らしく生きることができるんだと、改めて思いました。そのためには、学び、考え続けることが大事!と、自分に言い聞かせました。
前に書いた、働かされた「朝鮮人」のことも含め、しっかり調べて、展示しようと思います。
八文字カフェからの帰り際。Dさんから声をかけられました。
「あったことをなかったことにされないように!!」
と。
「蜑住」の地でやるべきことが一つはっきりしてきました。
※資料は、林えいだい「にっぽん 俘虜収容所」より