昨日(10月19日)は、若松区の戦争犠牲者追悼式に行った。
かねてから訪ね、慰霊したいと思っていた、高塔山にある「忠霊塔」(名前が気になる…)の中に入ることができた。
N先生が生前、「空襲で命を奪われた子ども達の名前を見らんないけんよ!」と、おっしゃっていた。
中に入ると、2000柱あまりの名前が、亡くなった日と年齢とともに書かれてあった。
私は、探した。子どもたちを。
悲しいことに、たくさん見つけてしまった。
ここにいる4人は、姓が同じ。きょうだいか?あるいはいとこか?
8月8日の空襲だけでなく前年6月の空襲犠牲者もいた。
親子ではないか?
兄弟ではないか?
怪我をして、しばらくして亡くなったのではないか?…
名前と亡くなった日付を見ながら、いろいろなことを想像した。
「生きたかったよね…。同じ思いをする子どもたちを出さないように、がんばるね。」
強く心に誓った。
「私たちは、もう80を越えてますよ。私たちがおらんくなったら、ここの世話をしてくれる人がおらんのよ…」
来られていた年長者の声が、私の耳に残っている。