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「北九州平和資料館」閉館…「戦争」を知り、「平和」を感じ、考える場所を残したい

北九州市若松区にある「北九州平和資料館」は、戦時遺品などの展示物を手に取って見られる私設資料館。戦争の加害者にも被害者にもならないようにと、両面からの展示をしている。そんな資料館の閉館決定後、ウクライナで戦争が始まった。同時に軍備増強に向かう国の動き…。戦争の真実を知り、考える場所を残さなければ!

現在の支援総額

3,037,500

75%

目標金額は4,000,000円

支援者数

204

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2022/09/01に募集を開始し、 204人の支援により 3,037,500円の資金を集め、 2022/10/31に募集を終了しました

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現在の支援総額

3,037,500

75%達成

終了

目標金額4,000,000

支援者数204

このプロジェクトは、2022/09/01に募集を開始し、 204人の支援により 3,037,500円の資金を集め、 2022/10/31に募集を終了しました

北九州市若松区にある「北九州平和資料館」は、戦時遺品などの展示物を手に取って見られる私設資料館。戦争の加害者にも被害者にもならないようにと、両面からの展示をしている。そんな資料館の閉館決定後、ウクライナで戦争が始まった。同時に軍備増強に向かう国の動き…。戦争の真実を知り、考える場所を残さなければ!

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12月14日(水)。第2回目の中学生による戦争戦時体験者への聴き取り活動を行いました。
コロナにより、延期になってしまった分です。

先週、1回目の聴き取りを終えた時に、恐る恐る尋ねました。
「コロナでできなかった分はどうしますか?」

卒業を控えた中学生です。
いろいろとやりたいこと、やらなければならないことがある事を知っています。
でも、返ってきました。

「聴きたいです。」

ということで、急遽連絡を取り、設定しました。
(残念ながら、炭坑での労働経験のある方は用事があり、またの機会に・・・)

今回は、満州での生活経験のある小野さん(元北九州平和資料館館長)(87歳)と、海軍少尉の経験のある宮原さん(98歳)。

実は私は、宮崎在住の友人が資料室に来たいというので、資料室へ。
引率は教員時代の同僚Yさんと連れ合いに頼みました。
(Yさんは、私が若松での空襲体験者を探している時に声をかけたことがきっかけで、宮原さんと知り合い、それからずっと『証言』を残そうと、聴き取りを続けておられます。)


そういうわけで、小野さん宅へ同行した連れ合いの撮影ビデオを見せてもらいました。

さすが!小野さんです。
満州の地図を準備されて、今は使われていない言葉を分かりやすく説明しながらご自分の体験を話してくださっていました
・軍属の子どもとして
・戦中は食べ物に困ることはなかった
・戦後食べ物や燃料に苦労
・引揚中に弟を亡くす・・・

子ども達は、佐世保の引揚記念館にも行ったと聞いていたので、満州のことや戦後の引揚についても調べているのではないかと思います。(以前、「満州の本を読んでいます。」とも言っていました。)

追究意欲の高い子ども達。表情の変化に、集中し、想像しながら話を聴いていることが分かりました。

小野さんが話された後、子ども達からの質問タイムに。

学校ではどんな授業があったのですか?

「あ~!その話やったら!!」
と、小野さんの声がはずみます。

日本の国がどれだけ立派な国か、どうして立派な国なのかをたたきこまれたね。
『日本よい国 清い国
 世界で一つの 神の国

 日本よい国 清い国
 世界に輝く えらい国』・・・。」

5年生では、歴代天皇の名前を覚えさせられたんよ。」
そう言って、神武天皇からを諳んじました!

子ども達は目を丸くして聞いています。

今で言ったら、『天皇 命(てんのう いのち)』よ。」

『てんのう、いのち』に、ビデオを見ながら、思わず笑ってしまいました。

『軍人勅諭(ちょくゆ)』も覚えさせられたと、またまた諳んじていく小野さん。・・・

「木でできた銃を持って登校して、奉安殿で銃をこうやって立てて、『礼』をするんよ。
その『礼』も角度とかが決まっとんよ。・・・」

アサヒホームグラフより

学校で行われた「体育(訓練)」の様子や先生の指導など、具体的なお話に、「戦争できる子ども(日本人)作り」の様子が手に取るように分かりました。

私は思い出していました。小野さんが、どうして人生をかけて平和活動をしてこられたのか


「私も軍国少年やったんよ。大人になったら海軍飛行兵になりたいと思っとった。
戦争が終わって、大人になって、どうして戦争をしたのかを知った時、『自分も戦争に加担しとった』と思ったんよ。」

子どもだった小野さんには、罪はないと思います。
でも、小野さん自身は、『自分は関係ない』として生きることはできなかったのでしょう。


小野さんが、テレビでユニセフのコマーシャル(栄養失調の幼い子どもの映像)になったら、チャンネルを変えるということは、初めて知りました。

弟さんとの別れ。満州での体験。・・・
80年近くもの時を超え、小野さんの人生をつくっているのだと、改めて思いました。ーーー



今回のもう一人の証言者である宮原さんのお話を聴き書きしているYさんに、お礼の電話をした時に言われました。

「こまっちゃん、私の方こそ、感謝してるよ。
こんなことがなければ、戦争のことを知ることもなかったし、宮原さんとお話することもなかったよ。

「そう言っていただけて、私もうれしいです。
私は、お年寄りから昔の話を聴くのが大好きなんです。
人間のたくましさに気付くことが多いし、今の日常が『ありがたいなぁ~』って思えるんです。
大変なことがあっても、『こんなことくらい大したことない』『まだがんばれる』とか思えるんです(笑)」

私も残りの人生、これまでの人生を振り返りながら、歩んでいきたいと思います。

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