3月12日。
午後は、小倉の陸軍の第十二師団跡、そして山田弾薬庫跡へ。山田弾薬庫跡は、山田緑地内にあります。
家族連れが、自然の中でのんびりと過ごしていました。
そんな中に、いくつもの弾薬庫が残っています。
小倉の陸軍造兵廠(兵器工場)で作られた砲弾に詰める弾薬が置かれていたのです。
「どこで火薬は作られていたのだろう?」疑問に思って、ガイドの市原さんに尋ねてみました。
「どこでしょうねぇ?浅川ですかねぇ?」
なるほど!そういうことか!
浅川にある、「そこだけ開発から逃れ続けている場所」が、「火薬が作られていた場所」だったのです。
浅川…。
平和資料室のことをずっと前から応援してくださっている、平和活動家のYさん(私の命名)のことを思い出しました。
Yさんのお父さんが、浅川のその会社で働いていたこと、炭鉱労働者がいた浅川での幼少期の経験のこと、原爆のこと…
ここでは詳しく伝えることはできませんが、浅川が、Yさんの平和を願う強い気持ちをつくっていることは、間違いありません。
「戦争」というものは、世代を越えて、長く影響を与えるものだと改めて思いました。
企画する側ではなく、参加する側としての「戦跡ツアー」。とても勉強になりました。
「ただ、知る」のではなく、「知って、戦争を憎む気持ちを持つ」ようにするには、どうすればいいのだろう…?やはり、考えてしまいました。
きっと、戦跡に立った時に、私の頭に浮かんだことが、ヒントになるような気がしています。
展示に生かしたいです…