日曜日森に行く。車で10分ほどの小さな森。毎月1回この森を訪れるようになってから、
かれこれ6年。小学校に上る前の小さな子どものいる家族と一緒に森を歩く。
子どものペースで歩く。
子どもは生き物を見つける名人だ。ついこの間も、じっとしゃがんでる、その目線の先に、1ミリにも満たないほどの真っ白な虫「なんだろう?」、白い虫ぴょ~んと飛んだ。
いそいで森の案内人の手を引っ張ってくる。「これなに?」
「よく見つけたね、小さいね。」またぴょ~ん、「どっか行っちゃった。」
「たぶん〇〇の仲間だな。」聞いてない。質問したくせに、もう子ども聞いてない。
でも、それでいい。なんだろうって思った、知っているだろう人を連れてきた。
このちっこい虫にも名前があるって知った。それがいい。「小さいのにすごい飛ぶね。」
そのハッケンがいい。
またある日 、「ここから先は男子だけで行く。おとなも来ちゃだめ。」さっきまで虫かごをめっぐって小競り合いを繰り広げていた3人。そう宣言して草の生い茂る小道を行く。
後ろ姿がちょっとかっこいい。おとなが歩いたらあっという間に抜けちゃうような小道。
でも、彼らに自分たちだけで行くと思わせた道、自分たちだけで行った道、ソレハドウシテ?おもしろいなぁ。
そんな「もりのじかん」を絵本にするという。森に子どもと一緒に出かける魅力を伝える絵本、その文章を書いてよというハナシが来た。
絵はオクヒラマユコが引き受けてくれた。森の活動をしながら、絵を描いているイラストレーターだ。
どう伝える、森でのおもしろさ、子どもたちのこと、生き物たちのこと、命のつながり、風、雨。絵本・・ストーリーがある方がいいのか、森の何かを主人公にするのがいいのか、考えたよ、考えたというより感じてた。日常生活を送りながらも、森を感じていた。
色彩、匂い、空気の湿り気、これまで出会った子どもたち、おとなたち、生き物たち、植物たち、その関わり。筋道立てて考えてたわけじゃない。どうするかなぁ~って、ぼ~としていたって感じ。
そんな折、ある彫刻家の展覧会に行った。最後の広い展示室。大きな石が何本も立っていた。私には樹に見えた。あるものは黒々と硬い、あるものはたおやかな、それぞれに個性のある樹に見えた。
作家の意図はそうではなかったと思う。素材も石である。
作家は、石の話を聞きながら彫るのだと語っていた。石の中に蓄積された地球の歴史、自然の営みを聞きながらということだろうか?
確信はもてないし、論理的なつながりを証明することもできないけれど、その彫刻群に触発されて、文がでてきたのだと思う。その夜、第1稿、驚くほど短時間で迷うことなく書き上げた。書くことができた。
オクヒラマユコに文を渡した。イメージ膨らむって言ってくれて、嬉しかった。
この絵本、同じページを開いた時に、昨日とは違うハッケンがあったり、昨日見つけたものが、今日は目に入らなかったり、そう、まるで森の中にいるときのように。
そういう絵本になるとオモシロイナと思っている。手に取る日を楽しみに待っていてくださいな。
オオバヒロコ