公演関係者のからのコメントや、マームとジプシーがお世話になっている方々より応援コメントを続々といただいております。初めてマームとジプシーを知ってくださった方もいらっしゃると思いますので、コメントをいただいた方との関係性と共に活動報告にも日々紹介させていただきます。
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川上未映子(小説家/詩人)
マームとジプシーを初めて観たのは、2010年だった。その頃、とつぜん親友がいなくなってしまい、身も心も参っていた時期だったので、ほとんど外出がかなわかったのだけど、信頼する編集者の山本充さんが「状況はわかる。でもこれだけは、ぜったい観てほしい」と声をかけてくれて、わたしは「ハロースクールバイバイ」を観た。途中から、汗とも涙ともつかない流れがわたしが過ぎ去った後「なんちゅうもんを作るんや」と動揺しながら、その日が初対面だった藤田くんとマームとジプシーの存在そのものが、わたしが生きている限り巡るであろう真剣な「季節」そのものになったのだった。
マームとジプシーの初期から中期にかけての、わたしの勝手な考えや思いをもとに、藤田くんとした対話はまだネット上で読めるので、ぜひこちらも読んでほしい。あの日の話は、ずっと印象に残ってるんです。
藤田くんも、青柳さんも、マームのみんなもわたしと年齢は10くらい違うのに、なぜかこの15年くらい一緒に育ってきたという感覚もある。演劇はもうマームとジプシーしか観ていないから、その意味で張り切った感想だってうまくいえない。何より、とてもすごくて、とても大切だとしか言えないし、もうそれだけでいいんだという気持ちがある。マームとジプシーというわたしにとっての「季節」は、時間だし季節だからおそらく巡るんだろうけれど、でもどの季節だってどの瞬間だって、今このときに起こっているたった一度のものであるということを、みんなそれを生きているんだということを、だから、恐れないでいいんだということを──リフレインのなかから、その「本当さ」に、いつも気づかせてくれる。今のわたしにとって、これ以上に大切な認識はありません。
マームとジプシーが、どこかで舞台をつくっている。藤田くんがどこかでなにかを考えてる。青柳さんが言葉を発して、たくさんの役者が生きていて、時間のなかに、とくべつな時間を作り出そうとしている。それはわたしにとって、生きていくための、かけがえのない勇気です。
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川上未映子さんと初めて作品でご一緒したのは、2013年の『ユリイカ(青土社)×川上未映子×マームとジプシー 初秋のサプライズ』でした。「まえのひ」という詩を書き下ろしてくださり、それを含む3篇の詩をリーディング公演として発表しました。
翌年2014年には、さらに3篇を加え8カ所をツアー、その後2016年には京都精華大学でも上演。マームとジプシーの記念すべき10周年(2018年1月〜3月)には、『みえるわ』ツアーと題し、新たに書き下ろしていただいたテキスト、他7篇の詩に6名のデザイナーが衣装をそれぞれデザインし、北海道から沖縄、計10カ所を巡りました。2020年には、コロナ禍での新たな公演の形を模索したイベント『窓より外には移動式遊園地』の中で、「冬の扉」「治療、家の名はコスモス」を上演させていただきました。
川上未映子さんとの作品は、藤田が初めて自分の言葉を用いず、他の誰かの言葉を扱って舞台にしたものでした。
川上さんから受け取った熱量を、どう舞台上に出現させていくか、藤田の中でインスピレーションはすぐ浮かび、青柳いづみさんの身体を通してテキストが音となる稽古が続けられました。
作家自身が初めて他の誰かの言葉に触発され、舞台としてのぼりつめていく瞬間でもありました。
川上さんと作品をご一緒して、10年が経とうとしていますが、気づけば、大事な節目節目を川上さんの言葉と共に迎えています。
それは、我々にとってかけがえのない言葉だからこそ、そこに頼りたくもあり、今の瞬間をつくるための自分たちに必要な言葉と行為であるのだと思います。
学生時代に本を開き、川上さんの言葉に出会った時から、そこには真実と憧れがずっとあり、その想いは今でも私たちのなかに増幅し続けています。
※川上未映子さんと藤田が過去に対談した記事は、こちらよりご覧いただけます。